武蔵五日市駅〜藤倉小学校跡〜風張林道〜風張峠〜甲武トンネル〜棡原〜上野原駅
参考資料:なし


久しくツーリングに行くのをサボってしまったので、
今回は気合を入れて、東京近郊では傾斜が最もきつい道であるという噂のある
風張(かざはり)林道(ここにツーレポあり)に行くことにした。

五日市線の武蔵五日市まで輪行。
都道303号線を西へ進み、檜原(ひのはら)村に入る。
交通量はやや多いが日曜なのでダンプは少ない。

本宿の交差点を右折し、北秋川方面へ向かう。
このずっと先で道が行き止まりになるので、交通量は少なくなる。
ジャージに身を包んだ数名のサイクリストが追い越していった。

この先藤倉バス停までは、数年前5速の折りたたみbromptonで行ったことがあり、
それほど坂がきつい記憶はなかったが、
先日ギアを超軽くした21速のBD-3でも、一番軽いギアで走行した個所があった。
数年前に比べて脚力・心肺機能が衰えているのかもしれない。

最近休日は曇りや雨が多かったが、今日は雲一つない抜けるような青空で、
気温も上昇してきた。

やがてバスの終点藤倉バス停に到着。
丘の上に1986年に廃校となった藤倉小学校跡があるので
自転車を置いて見学に行く。
急な坂道を数分歩くと、左に小学校の運動場へ向かう階段、
右に神社が現れ、神社の後ろに小学校跡がある。

わずかな敷地に小さい校舎が2棟建っている。
100m位先に民家が1,2軒見えるだけで周囲は山しか見えない。
なお、ここからさらに徒歩30分ほどの山奥に
国の重要文化財の小林家住宅(ここここここここ)というのがあるらしい。

丘を下り、白岩沢という沢に沿って西へ進む。
大体200m位おきに民家がポツンポツンと現れる。
車はほとんど通らない。

2kmほど進むと、右に登っていく坂道があり、そちらに進む。
沢を離れ、山の側面を登っていくので勾配がきつくなる。
山の中腹にも数戸の民家がある。

やがて展望が開けるあたりまで来ると、勾配はさらにきつくなる。
超低速で足を踏ん張っても登坂が困難となり、
ついに200mほど押して歩く。
登り坂なので自転車を押して歩くのも結構疲れる(>_<)。

やがてキノコセンターに到着。
付近には10軒ほどの集落があり、いったん勾配は緩くなる。
集落の先の分岐を右に進む。ここからが風張林道となる。

勾配は超低速で足を踏ん張れば何とか登れる程度(当社比)で、たまに平地もあるが、
スタミナが切れてきたので、途中1kmほど押して歩いた。
なお、道はやや狭く、また左の崖側にガードレールのない個所が多いので、
走行には注意のこと。

峠に到着する3kmほど前から、
奥多摩周遊道路を走るバイクの爆音が聞こえてきた。

やがて風張林道は奥多摩周遊道路に合流し、以前走った風張峠に到着。
絶え間なく追い越していく暴走バイクにヒヤヒヤしながら都道206号を数馬方面に下る。

この先2回ほど登り返しがあった後、
上川乗(かみかわのり)という所で右折し、甲武トンネルに向かう。
多摩川水系の南秋川から相模川水系の鶴川への山越えとなる。

勾配はややきつい程度だったが、スタミナが切れてきたため何度も休憩しながら
ようやく甲武トンネルに到着(手前に短い栗坂トンネルあり)。
トンネル内の歩道はやや狭いため、車道を走る。
トンネルは954mと長いが、勾配はあまりなく、また交通量も少なかった。

トンネルを越えると山梨県に入り、ここからは下りとなる。
少し進むと、このとき通過した長寿村の棡原(ゆずりはら)に出る。
集落は、下の道路から100〜200m位の高さの斜面に点在している。

県道33号を南下する。ここでも2回ほど登り返しがあった。

やがて最近市に昇格した上野原に到着。
上野原の市街地は相模川の河岸段丘の上にあり、
中央線の上野原駅は河岸段丘の下にあるため、
段丘の側面の長い坂を下ることになる。
ところが自転車でどのように走ったらいいのかよく分からなかったので、
参考までに状況を以下に書いておく。







左図のA地点を右方向に、車道の左側を走っていた所、
B地点の中央高速に向かう道に横断歩道がないため渡る事ができず、
いったん横断歩道を探して(登り坂を)A地点方向に戻った。

ちょうど車がとぎれたので強引に車道の右側に渡り、
再びB地点方面に走り始めた。

車道の右側についている歩道を走行していた所、
C地点で歩道は途切れ、下へ降りる階段になってしまった。
この先、車道の右側を走るのは危険なので、
C地点で再び車道を左側に渡る必要があった。
(ただし左側にも歩道はない。)

下図のDにも道があるが、
上野原の市街地から上野原駅に向かう場合、
この道を通るのが正解なのだろうか?

五日市線の終点、武蔵五日市駅。
五日市の街並み。
由緒のありそうな家。
多摩川の支流、秋川。
土蔵。
檜原村役場。
本宿交差点。
ここで秋川は左(数馬方面)の南秋川と右の北秋川に分かれる。

ここを右に曲がり、北秋川方面に進む。

なお、向こうの山には檜原城跡があるらしい(ここここ)。
檜原とうふのちとせ屋
やすらぎの里(ここここ)。
よく見ると2色刷りになっている道路情報。
北秋川に沿って進む。
郷土資料館
急な山の斜面に作られた畑。

左の写真の山の上部が光っていたので
拡大したところ、どうも民家があるらしい。
バスの終点藤倉停留所手前の集落。
藤倉交差点。
左、斜め左、斜め右の3本の道に分かれており、
斜め左の道を進む。

数年前bromptonで来たとき、
斜め右の道を500mほど進み、
勾配が急なので坂道を押して歩いていたところ、
あやうく蛇を踏みそうになり、
思わず「ワ〜」と大声をあげたら、
蛇も驚いたらしく、飛び跳ねて草むらに逃げていった。
まず廃校になった藤倉小学校に行く。

上の写真の斜め左の道を少し進み、
左の写真の所に自転車を置き、右にUターンして
坂道(路面に輪の模様がついている)を登ると、
上の写真のガードレールに出る。
坂道をさらに登っていく。
藤倉の集落の眺め。
向こうが武蔵五日市。

右のドームは
藤倉ドーム(この地区のコミュニティセンター)らしい。
急な坂道を数分進む。
左の階段の上に、小学校の運動場跡がある。
右手に神社があり、その先に小学校跡がある。
上の写真の正面の風景。
この階段を登ると小学校の運動場跡がある。

猫の額ほどの広さの運動場跡は
草に覆われていた。

唯一残っていた運動場の設備。
サッカーゴール兼バスケットゴールか?
神社。
神社の左手の道を少し進むと、
右側に小学校跡がある。
この先にも民家が点在しているらしい。

藤倉小学校跡。
現在は青童舎という児童劇団の
宿泊研修施設(ここここ参照)なので、
中に入るのはやめて外から撮影した。

上はここから転載した当時の写真。
開校が1874(明治7)年、廃校が1986(昭和61)年らしい。
ここここに昭和49年頃の
航空写真があったので転載。

左上に民家が点在しており、
その先にも民家が点在している。
先ほど自転車を置いた場所に戻り、
白岩沢沿いの道を先に進む。
なお、ここによると、
消防団の赤い倉庫を目印に進むようだが
気付かなかった。

200mおき位に民家が建っている。
このT字路を、案内板に従って
左の檜原きのこセンター(ここから3km)方面に進む。
栗のイガを踏むとパンクする可能性があるので注意。
ここをUターンし、右の坂を登る。
上の写真のカーブを反対側から撮影。
左の道を登る。
ここからは山の斜面を登っていくので勾配がきつくなる。
この先次第に展望が開ける。
先ほど通過した?2,3軒の民家が見える。
この写真を撮影した地点の後ろにも民家が建っている。
武蔵五日市方面?の展望。

この付近の勾配が一番急だと思う。

地図によると、
この付近にヘリポートがあるらしいが
気が付かなかった。

ここにヘリポートの写真があったので転載する。
急坂を登った所にあるきのこセンター
同上。
この付近には数軒の集落がある。
きのこセンターの先の分岐を右に進む(ここが最後の民家)。
なお、左はすぐに行き止まりとなる。
ここからが風張林道のようだ。
風張林道。
ガードレールのない所が多いので
走行には注意すること。
同上。
同上。
このように、植物で覆われて
道の端が不鮮明な所もあるので注意。
奥多摩周遊道路方面から暴走バイクの爆音が聞こえてくる。
もう少しで風張峠。
奥多摩周遊道路(左)と風張林道(右)の合流点(風張峠)。
向こうが奥多摩湖。手前が数馬。
ゲートの右側の狭い隙間から出る。
(ペダルが引っかかって出るのに苦労した)。
2枚上の写真の
左側のガードレールの先からも
出ることができるようだ。
風張峠付近からの眺望。
武蔵五日市付近か?
駐車場にたむろしている暴走バイク群。
転倒したライダー。
救急車とパトカーが来ていた。
中央下の集落は数馬か?
夢の滝(ここここ)。
落ち武者が住み着いた集落と言われる
数馬にある兜家(かぶとや)旅館
平地が少ないので石垣が多い。
上川乗の交差点。
写真左が数馬。写真右が武蔵五日市。
ここから甲武トンネル方面(写真手前)に進む。
先ほど走っていた都道206号沿いの集落が見える。
長さ954mの甲武トンネル。



トンネル内ではこの腕章を腕に巻く。
下のボタンを押すと、左の写真のように赤く点滅する。
長寿村で有名な棡原(ゆずりはら)地区。
同上。
山の中腹にある。
同上。
同上。
同上。
秋が次第に深まってきた。
ここで一曲←音が出ます)。
相模川の支流、鶴川。
上野原付近の相模川。

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