中込駅〜龍岡城〜雨川ダム湖〜田口峠〜広川原〜狭岩峡〜狭岩分校〜蝉の渓谷〜下仁田駅
参考資料:なし



今回は長野県に遠征。

長野新幹線の佐久平駅で降り、小海線に乗り換える。
ローカル線なので乗客は少ないかと思っていたら、
土曜なので高校生やサラリーマンでかなり混んでおり、
輪行袋は少々邪魔になるが通路に置いた。
幸い高校生は次の岩村田駅でドヤドヤっと降りたので助かった。

今日の最初の目的地は龍岡城址。
最寄の駅は龍岡城駅か臼田駅だが、手前の中込駅で電車が乗り換えとなり、
中込から先に行く電車は40分位待たなければならないので、
中込で降り、そこから自転車で行くことにした。

新幹線の軽井沢駅あたりからずっと霧が発生おり、
天気が危ぶまれたが、次第に霧は晴れ、晴天となった。
田園地帯を走り、やがて旧臼田町(現在は佐久市と合併)に入る。
臼田には、日本最大のパラボラアンテナ(ここここここ)があるそうだが
方向が反対なので行かなかった。

少し進み龍岡(竜岡)城跡(ここここここここここここここここ)に到着。
この城は函館の五稜郭と同様に城郭が五角形になった城跡である(日本で2つのみ)。
なお、函館の五稜郭の近くに四稜郭(しりょうかく)(ここここ)があり、
このような城郭を稜堡(りょうほ)式城郭と呼ぶらしい。

龍岡城は函館の五稜郭より規模は大分小さい。
最初城の外側を自転車で左回りに走ったが、途中で畑になり、
そこから先へは行けないようなので、
元に戻って今度は右回りに走り、城を一周した。

城内は小学校になっている。
校庭では少年野球チームが練習しており、小学校は休みのようなので、
途中で校内からも撮影した。
なお、龍岡城は桜の名所(ここここ)なので、春に来るのも良いかもしれない。

城巡りを終え、県道93号線を東に向かう。
最初のうち、古い町並みを通過するが、次第に民家はまばらとなり、
やがて山間部に入る。
勾配はさほどきつくなく、また車の通行量が少ないので、快適なツーリングが楽しめる。

しばらく進むと、雨川(あまかわ)ダムのダム湖がある。
湖水はエメラルドグリーンのような色をしている。
湖のほとりには観光客は一人もおらず、また湖を通り抜ける間、車も一台も通らなかった。

ダム湖の少し先に湖月荘という公共の宿がある。
またこの付近から脇の林道を2.3km先に行くと、
日本で一番海から遠い地点(ここここここここここここ)があるらしい。
ちなみに筆者は海から2km位の所に住んでいるので、
今朝、海の近くから出発し、海から最も遠い地点の近くまで来たことになる。

道の脇を流れる雨川(あまかわ)は次第に細く、谷川となる。
枯葉が上からハラハラと舞い落ちる中、
せせらぎの音色を聞きながらゆっくりペダルを廻す。

数軒の民家を過ぎると田口峠のトンネルに到着。
峠の手前は信濃川(千曲川)水系で、峠の先は利根川水系となる。
通常、峠が県境になるが、田口峠の場合は県境になっておらず、
田口峠は長野県、峠の数キロ先が県境でそこから群馬県となる。

トンネルを越えると眺望が開け、荒々しい岩山が見える。
峠から先は下りとなり、九十九折りの道が続く。

やがて峠の先の最初の広川原集落(戸数10戸程度)に到着。
この付近に洞穴群(鍾乳洞)があるらしい。

広川原より先はまた林道のような道となる。
相変わらず車は少ない。
この先、狭岩(せばいわ)峡という名所が地図に表示されていたが、
そこには看板が立っているだけで、店は一軒もなく、観光客も一人もいなかった。
上に見えている岩を狭岩と呼ぶのだろうか。

少し進むと左側に田口小学校狭岩分校跡の建物が見える。
過去のツーレポで撮影した分校は、近くに民家が多少はあったが、
この学校の場合は前後2、3kmに民家が全くなかった。

ここからさらに少し下ると県境があり、その先は群馬県の南牧(なんもく)村となる。
なお、地図で見ると、30kmほど離れた長野県の八ヶ岳の北東にも南牧(みなみまき)村がある。

県境から1.5kmほど下り、群馬県南牧村の最初の間坂集落に到着、と思ったのだが、
後で調べてみると(ここここ)、間坂集落(群馬県)の最初の方は馬坂集落(長野県)だと判明した。
まとめると下図のようになる(黄色が長野県、水色が群馬県)。
従って、越境通学がないとすれば、狭岩分校には広川原集落と馬坂集落の子供が通っていたことになる。

間坂集落から先も歴史のありそうな集落が点々としている。
集落は、県道の両側に沿っている場合と、
県道沿いを流れる川の対岸の旧道沿いにある場合の2つのケースがある。

やがて蝉(せみ)の渓谷と呼ばれる名所に到着。
ここには観光客が10人ほどいたが、店はなかった。
最初気付かなかったが、道の左側に案内板が立っており、
それによると2本の橋の間に遊歩道があるので、
自転車を置いて遊歩道を散策した。

この先もずっと下りが続き、やがて県道45号線に合流し、
交通量も次第に増えてくる。

下仁田駅から輪行で帰宅した。

中込から龍岡城に向かう道。
朝のうち霧が出ていた。
稲刈りの終わった田んぼ。
龍岡城から少し離れた所にある、
対攻城軍に対する防御の第一線である枡形




中央の☆が龍岡城跡(ここから転載)。
右上の山に田口城跡がある。

龍岡城の拡大写真(ここから転載)。写真の上が北。
番号は下記の各写真の撮影地点に対応。

昔の城内の建物。
左の写真と向きが違うことに注意
(番号は対応)。
「台所」(黄色い実線の四角)のみが現存しているが
黄色い点線の四角部分(筆者が加筆)に移築されている。

一枚上の写真の@地点。

@地点。

A地点。

A地点。
B地点。
大手門の橋の上。
C地点。
大手門。
D地点。
向こうの橋が大手門。
堀の周囲は滑るので堀に転落しないように注意。

E地点。

E地点。
F地点。
G地点。
H地点。

I地点。
左は農地でここから先へは進めない。
この先で堀はなくなる。

I地点。



J地点。
向こうの山の上に
田口城址(ここここ)があるらしい。

J地点。
ここから先は堀がない。
K地点。
L地点。

M地点。

M地点。右は荒地。
N地点。
ここから先は荒地で先に進めない。
O地点。左は荒地。
P地点。
ここから先は堀となる。

P地点。1枚上の写真の
向こう側(堀のある側)から撮影。

P地点。
同左。この先は荒地。
Q地点。
堀の右は農地。
R地点。

S地点。
城の内部は田口小学校になっている。
ここで一曲←音が出ます。

敷地内にある唯一の現存建築「台所」(ここここ)。


大手門の外にある五稜郭であいの館
田口峠に向かう道。
途中までは広く、また交通量は少ない。
バスの時刻表。
山間部に入っていく。
紅葉が始まっている。
千曲川(最終的には信濃川)の支流、雨川(あまかわ)。
雨川ダム湖。
同上。
同上。
同上。

同上。

雨川ダム湖の先の看板。
ここから2.3km先に、日本で海から一番遠い地点がある。
→の看板が6個の豪華版!!

落ち葉がハラハラと舞い落ちる。

せせらきの音だけが聞こえる。
峠の近くに何軒か民家があった。
田口峠のトンネル。
峠の手前も向こうも長野県。
この数km先から群馬県になる。
トンネルの向こう側。

向こうの岩は
立岩(たついわ)という名前らしい。

鉄人28号を連想した。



名称が分からないが、荒船山か?



峠を少し下ったところから撮影。


九十九折りの道を下る。
同上。



同上。
さらに下ると針葉樹の林となる。

田口峠の先の最初の広川原集落。
ここはまだ長野県。

集落内にある禅昌寺の裏手に洞穴群があるらしい。
最勝洞(ここここここここ)とも
呼ばれているらしいが、危なそうだ。


写真左上の外が田口峠(ここから転載)。
航空写真だと「民家?」のところに家が2軒ほどあるが、
気が付かなかった。

広川原集落の拡大写真(ここから転載)。

狭岩峡の看板から少し下ったところにある
田口小学校狭岩分校跡(ここここ)。
一枚上と右の写真から分かるように、
周囲には家が一軒もない。

狭岩分校跡の拡大写真(ここから転載)。

狭岩分校跡。

小学校の右上には、


この岩がある。これが狭岩か?
電線が撮影のじゃまになった。
狭岩分校跡から少し下ると県境があり、
ここから群馬県の南牧村となる。
(3枚上の左側の航空写真の緑の部分。)
馬坂集落(長野県)か間坂集落(群馬県)かどちらか。
段々畑
畑の平地部の勾配も急だ。
巨大な釜?
道沿いの集落。

蝉(せみ)の渓谷の駐車場から、
下流の蝉橋を撮影。
蝉橋の上に人がいる(大きさ比較用)。

蝉(せみ)の渓谷
(または蝉の渕)。



蝉橋から上流の駐車場方向。

蝉橋と下流の芭蕉橋の間に遊歩道がある。
蝉橋から下流方向。
立体感を出すために橋の手すりも入れてみた。

下流の芭蕉橋から上流側の眺め。
写真上が蝉橋。

川幅が異様に狭くなっている。

岩肌の真下に建つ家と段々畑。
電線が屋根を突き抜けている。
群馬県の南牧(なんもく)村役場。
南牧(なんもく)川。
最終的には利根川に注ぐ。

とある店の屋上。

宣伝カー。

下仁田の街並み。

町の向こうに岩山が見えた。

青岩公園。


公園内の石。
やや青みがかかっている。
♪電車の車両に派手な広告出したってぇ、いうじゃな〜い?
でもあんた、ドアが開くとURLの一部が見えないですから!
残念!!

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