長瀞駅のブーメランと蛙。ここに説明がある。 気づかなかったがかぼちゃも展示してあるらしい。 |
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金崎古墳群の大堺2号墳(URLはここ)。 以下ここから転載。 金崎古墳群は、荒川左岸の河岸段丘上にある群集墳で、かつては8基以上の円墳があったといわれる。しかし、現在墳丘や主体部が残されているのは、大堺1号墳、大堺2号墳、大堺3号墳、天神塚古墳の4基だけである。大堺1号墳を除いて石室が開口しており、いすれも横穴式石室で、秩父地方に特徴的な長瀞系変成岩の板石や割石を使用し、巧みな技術で積み上げられている。天神塚古墳からは埴輪の破片、大堺3号墳からは土師器や須恵器が発見されている。これらの遺物と石室の形から、天神塚古墳が6世紀後半、大堺3号墳が7世紀初頭の築造と考えられる。 |
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畑の中にある大堺3号墳。 | |
ここに石室内の写真あり。 崩壊の危険があるため、内部への立ち入り禁止になっている。 |
県道脇にあった山田懿太郎という人のレリーフ。 | |
このとき登った美の山と思われる。 | |
前原の不整合(こことここを参照)。 |
以下は案内板の説明(ここから転載)。 前原の不整合は、秩父盆地ができはじめたころを物語る重要な露頭である。この露頭は、幅約20m、高さ15mの荒川に面した崖で、秩父盆地を構成する第三紀層が、秩父帯のジュラ紀の地層をおおっている様子が観察できる。 崖の左下に見える黒い岩石が秩父帯のチャートなどで、およそ1億5千万年前の地層である。ながい年月地殻変動の影響をうけたため、もろく割れやすくなっている。 その上に重なる白っぽい岩石が、秩父盆地を構成する約1千5百万年前の地層である。おもに石英や長石にとむアルコース(花崗質砂岩)で、下部は礫岩になっている。礫岩を構成する礫は、大小さまざまで、丸いものも角張ったものもある。礫の種類は、秩父帯のチャートや砂岩で、この近くに分布する岩石である。礫の間を埋めているのはアルコースである。このように、不整合面の直上にある礫岩は基底礫岩と呼ばれ、侵食の場から堆積の場に転じた最初の堆積物である。 この不整合は、いったん海底に堆積したジュラ紀の地層が、地殻変動により隆起し、陸上で風化浸食された後に再び沈降し、その上に第三紀の地層が堆積したことを物語っている。 ここでは、不整合面が明瞭で、地層の上下関係が広く立体的に観察できるので、学術的に貴重であるだけではなく、地質学の学習にも適している。 ※不整合とは、年代の大きく異なる地層が重なっていることを示す用語で、それらの地層の境界面を不整合面といいます。 |
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前原の不整合付近の荒川。 確かに地層が露出している。 |
今日のツーリングでは藤?を何度も見た。 | |
奈良川橋から赤平川(荒川の支流)の下流を望む。 写真左の道路を走ってこちらへきた。 |
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龍勢(りゅうせい)会館(ここ、ここ、ここを参照)。 龍勢祭りについてはこことここを参照。 ロケットが飛んでいるビデオはここを参照。 ロケットの製作工程についてはここを参照。 |
ここから転載。 龍勢とは、「椋(むく)神社秋の大祭」に奉納する神事として、 代々伝承され続けてきた「手作りロケット」のことです。 櫓にかけて打ち上げる様が、龍の昇天の姿に似ていることから 龍勢(りゅうせい)と呼ばれています。 これは、ロケット推進の噴射によって 300〜500メートルの高さまで上昇するもので、 土地の古老より構造や火薬の取り扱い方などを伝承した 若衆が製造します。 伝承技術の相違によって28流派あり、 それぞれが独自の工夫をこらすため、 各龍勢も個性的なものに仕上がります。 観客が打ち上げの成功を一喜一憂する中、 15分おきに35本の龍勢が打ち上げられます。 |
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ロケットは数百メートル飛んで爆発し、 落下傘や唐傘が落ちてくるらしい。 ロケット(竹)の本体も、付属する落下傘が開いてゆっくり落ちてくる。 龍勢、ロケット、花火の違いの説明が以下(クリック)にある。 |
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唐傘。 | ||
失敗して爆発することもあるらしい。 | ||
発射台上部の模型。 縦に伸びているのがロケット。 |
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天井に吊るしてあるのがロケット。 赤、緑、黄の布の部分が先端で、発射の際は布ははずす。 |
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映画「草の乱」のオープンセット。 | ||
同上。 |
矢印の部分に黒っぽく見えるのが発射台。 | |
発射台の現場に接近。 | |
発射台付近から吉田町を望む。 | |
子(ね)の神の滝。 |
秩父事件の際、農民3000人が集まったという椋(むく)神社。 ここによると、秋の例大祭で 龍勢(りゅうせい)として奉納されるのが、 神事として伝えられてきた「手作りのロケット」だそうだ。 |
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建物の軒下に横長に龍勢が奉納されている(気づかなかった)。 右の木は大ケヤキ。 |
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旧武毛銀行。 近くに吉田町立民俗資料館(旧吉田町役場)もあったが、 行くのを忘れた(>_<)。 |
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迷彩色の建物。 | |
秩父困民党の会計長、 井上伝蔵(映画「草の乱」の主人公らしい)の屋敷跡。 |
石間川沿いの県道363号線に入る。 ここから城峯山までは龍勢ヒルクライムのコースらしい。 |
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谷間に集落が点在する。 この谷沿いに、半納の横道、加藤織平生家、落合寅市の家など、 秩父事件の史跡があるらしいが、走ったときには知らなかった。 |
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猿田彦神社。 鳥居の先から斜め上に参道?が伸びているが、 木の生え際の位置を見ると急勾配なのが分かると思う。 |
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参道?は何とこんな状態で、登るのはかなり怖そうだ。 (この写真では傾斜がゆるく見えるが、 実際の傾斜は上の写真のような感じ。) |
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倒壊した廃屋。 | |
今日は藤をよく見る。 山の中腹の家々は石間集落か? |
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防護ネットがあるとは言え、 大丈夫なのだろうか? |
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反対から見るとこんな感じ。 | |
まるで津波だ。 | |
この水車は、石間交流資料館の 体験交流で使うらしい。 |
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山の上まで家が続く石間の集落。 ねずみ小僧次郎吉の出身地という説もある。 |
金属製の城峯神社の鳥居。 (神社本体はずっと先にある。) ここから急坂が始まる。 |
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新緑。 | |
急坂を登ると半納の集落。 | |
半納の集落から、先ほど通過した石間の集落の眺め。 | |
半納集落の戸数は20軒ほどか。 こんな山の上で 半納の戦いが行われたのだろうか? |
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各家から外を見るとこんな眺めになる。 | |
さらに登り、半納集落を見下ろす。 |
半納集落から先は林道となり、 車が全く通らず不安になる。 |
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しばらく進み、ようやく太田部峠に到着。 | |
さらにしばらく進み、ようやく石間峠に到着。 中央の山道を10分ほど登ると城峯山頂。 |
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城峯山頂をめざして登る。 | |
城峯山(じょうみねさん)(こことここ参照)の 頂上にある展望台。 |
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展望台からは、ほぼ360度のパノラマが開けるが、 例によって霞んでいる。 写真中央やや上は鬼石町中心部。 |
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写真中央下に見える湖はこのとき通過した神流湖。 | |
この写真は今日走ってきた方向だと思う。 | |
平将門ゆかりの城峯神社。 | |
一等三角点。 | |
ほぼ同じ位置からの写真だが、私のデジカメで樹木を撮影すると、 左のように土が赤っぽくなってしまうことが多い。 |
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山を下り、下界へ向かって走る。 |
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野上駅近くにあった昭和30年代風?の木造住宅。 | |
秩父鉄道の野上駅にて。 セメントを運搬する貨物か? |