東京海洋大(旧東京商船大)1号館(1932年に再建)。 ツーリング当日は早朝で構内に入れなかったので、 以下の構内の写真は 次の日(海の日のイベントで構内が公開されていた)に撮影。 |
|
怪人二十面相が出てきそうな第一観測台。 |
|
大きさ比較のため、自転車を入れて撮影。 | |
第二観測台。 |
|
現存する日本最古の帆船、明治丸(ここ、ここ、ここ)。 祝日の海の日に関係しているらしい。 |
|
東京海洋大の構内にある港(航空写真はここから転載)。 |
東京海洋大の敷地の外にある、 明治天皇聖蹟記念碑。 |
|
東京海洋大と 清澄通りを隔てた反対側に置かれている錨。 説明がないので由来は不明。 |
|
隅田川の河口に浮かぶ月島の高層マンション群。 | |
越中島公園。 隅田川の対岸は新川方面。 この辺りから、少し上流の永代橋、清洲橋までの 川の両側のテラスでは、ときどきテレビロケをやっている。 |
|
遊歩道は堤防上と川のそばの2本ある。 右上の橋は相生橋、その右が月島。 |
|
ミニ信号機があったが点灯していなかった。 実際に使われているのか不明。 |
|
月島の高層マンション群。 ここから隅田川は二手に分かれる。 |
|
永代橋。 左端が旧山一證券。 中央は日本IBM箱崎ビル。 |
|
屋形船。 | |
川沿いの中華そば「おはる」。 |
なぜか青、黄、赤の国旗が掲げられている。 |
仙台堀川に掛かる橋。 この大げさな鉄骨部分は必要なのか? |
|
仙台堀川の両側にまたがる 木場公園をつなぐ木場公園大橋。 木場付近は以前貯木場だったが、 新木場に移転した。 10月に木場の角乗(ここ、ここ)の 実演があるらしい。 |
木場公園付近の昭和49年の写真(ここから転載)。川に材木が浮かんでいる。 ここによると、木場の貯木場は昭和46年から51年にかけて新木場に移転したので、 この写真は移転の最中と思われる。 一番下の道路は葛西橋通り。左右を流れるのは仙台堀川。上下を流れるのは大橋川。 |
ここから仙台堀川沿いに、全長3.7kmの 仙台堀川親水公園(ここ、ここ)が続く。 仙台堀川の名前は、 川沿いの、清澄1丁目の太平洋セメント付近に 仙台藩の蔵屋敷があったのが由来らしい(ここ、ここ、ここ)。 |
|
同上。 | |
同上。 公園内の釣堀。 |
|
同上。 昔の木場の様子(長い材木と船頭さん?)が描かれている。 |
|
同上。 | |
同上。 この付近の水害を守るために建設された 尾高水門に使われた部品。 |
同上。 親水公園の木場〜砂町間は、 このように一般道と交差する部分は下を通っているので、 道路を渡る個所は1箇所のみ。 |
|
同上。一般道の下を通る浮き橋。 |
|
同上。蔦に覆われた工場。 | |
同上。 | |
昔の仙台堀川。 |
|
右の写真は、昭和49年頃の 上の写真と同じ福島橋付近。 (ここから転載)。 |
|
同上。 旧大石家住宅。 早朝でまだ開園していなかった。 |
|
同上。 2つ目の釣堀。 |
|
最初のことかと思ったが、 ガマという植物らしい。 |
|
仙台堀川親水公園は、 この先、小名木川の手前で終わる。 |
|
関東の駅100選に選ばれている、 都営新宿線の東大島駅。 旧中川の上にホームがある。 |
|
中川船番所資料館。 | |
東武亀戸線の踏切付近にあった妙な出っ張り。 |
|
中の橋商店街。 朝8時頃なので人出は少ない。 |
砂町銀座。 首記ガイドブックP9には、 「東京で最もエキサイティングな 商店街として知られる砂町銀座」と書いてある。 |
|
同上。 | |
前カゴが妙にガタガタするので見ると、 写真左やや下のネジが欠落していた。 |
|
徳川家康が行徳の塩を江戸に運ぶために 小名木四郎兵衛に命じて掘らせた運河である 小名木(おなぎ)川(ここ、ここ、ここ、ここ)。 地盤沈下の関係か、 橋が高い所に掛かっているため、 渡るときは上まで登らなければならない。 |
|
橋の上からの小名木川の眺め。 周囲は団地が多い。 |
|
(大島)中央銀座(本道ではなく支道)。 | |
九州の太宰府天満宮にならって造営された 亀戸天神(ここ、ここ)。 藤の名所らしい。 |
|
池にかかる太鼓橋。 |
|
小さい方の橋。 | |
池には亀がたくさん泳いでいた。 確か大昔にやっていたテレビCMを思い出した。 親亀の背中に子亀を乗せて そのまた背中に孫亀乗せて そのまた背中にひまごを乗せて 親亀こけたら皆こけた♪ |
|
以下亀戸七福神(ここ、ここ)。 龍眼寺の、布袋が安置されている建物。 |
カラフルな布で覆われた建物。 |
天祖神社。 |
福禄寿が安置されている建物。 |
普門院。左の建物に毘沙門天が安置されている。 ここで雨に降られ、カッパを着たらすぐ止んだ。 カッパを着ているときにヤブ蚊に2個所刺された。 |
|
江東区最古の神社、香取神社。 |
|
亀戸大根の碑。 |
大黒天。 |
東覚寺。 |
弁財天が安置されている建物。 |
常光寺。 卍の記号で小学校の地理を思い出した。 |
寿老人が安置されている建物。 |
昔都電が走っていた堅川人道橋。 |
|
当時の都電の写真。 | |
都電の走っていた道は 亀戸緑道公園と 大島緑道公園になっている。 |
1947年の写真(ここから転載)。 写真右上の湾曲している部分が左の地点。 |
狭い道を進む。 | |
この向こうに 貨物専用線の小名木川駅があったが、 2000年に廃駅となった(ここ、ここ、ここ)。 (貨物専用線自体は稼動している。) |
左は現在(ここから転載)、右は昭和49年(ここから転載)。 |
かつて都電が走っていた南砂緑道公園。 上の写真は右の写真の左上の湾曲部分。 |
1947年の航空写真(ここから転載)。 写真の左と上の部分が都電の軌道。 |
公園内に置かれたレールと車輪。 |
江東区南砂のあたりに大名の屋敷があったとは知らなかった。 |
公園内に置かれた大砲のモニュメント |
洲崎橋。この向こうの埋立地には、昔、 洲崎遊郭(ここ、ここ、ここ、ここ)が あった。 洲崎橋の下の運河は埋め立てられ、 洲崎川緑道公園になっている。 |
1947年の航空写真(ここから転載)。中央上が洲崎橋。 上の左右に伸びる道は永代通り。 空襲で焼け野原になっている。 |
||
橋には洲崎パラダイスの アーチがかかっていた。 |
現在の様子(ここから転載)。 北側(写真上)と東側(写真右)は 外側の陸地とつながっている。 |
||
1枚上の航空写真の北側の境界。 昔の運河が埋め立てられて 洲崎川緑道公園となっている。 |
|||
この写真の向こうが洲崎。 周囲よりも低いようだ。 地盤沈下したのかもしれない。 |
2枚上の航空写真の東側の境界。 この写真の右が洲崎。 境界にある堤防は昔の堤防か? |
||
3枚上の航空写真の南側の境界の様子。 |
この堤防は昔の堤防か? この外に遊歩道があり、その先は運河。 |
||
運河の先には無機質な建物が立ち並ぶ埋立地が続く。 | |||
遊郭だった建物がいくつか残っている。 |
ここから転載した左の建物の昔の写真。 |
||
同上。 |
同上。 |
||
横十間川親水公園(ここ、ここ)。 | |||
同上。 公園内に置かれた作品。 |
|||
同上。 公園内の田んぼ。 |
|||
同上。 遊歩道。 |
|||
同上。 ボート乗り場。 |
|||
同上。 | |||
同上。 カッパがシンボルらしい。 |
|||
同上。 この親水公園も、 一般道と交差する地点では下を通っており、 あまり渡らなくてすむ。 |
|||
同上。 | |||
同上。 もう一箇所のボート乗り場。 |
|||
同上。 水上アスレチック。 |
|||
クローバー橋(ここ、ここ)。 川と橋がともに十字型でクロスしている。 |
航空写真(ここから転載)。 |
||
橋の中心。 | |||
橋の北側。 |
西側。 |
||
南側。 |
東側。 |
サッカーJリーグのFC東京深川グランド。 現在はサテライトが使っているらしい。 |
|
昔貯木場だった 猿江恩賜(さるえおんし)公園(ここ、ここ)。 |
貯木場だった昭和49年の航空写真(ここから転載)。 右は横十間川。 |
横十間川。 クローバー橋より北は親水公園にはなっていない。 |
|
レトロな建物。 |
|
レトロな建物。 | |
押上駅近くにある京成電鉄本社。 |