巨福呂(こぶくろ)坂切通し(こことここ)は 1240年北条泰時が開き、鎌倉から 北鎌倉方面への行き来がしやすくなった。 右は巨福呂坂切通しへ向かう道。 左のトンネルは塞がっている。 |
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右は切通しへ向かう道。 左は大聖歓喜天(だいしょうかんき(ぎ)てん)神社。 折角なので神社に登ってみる。 階段が急で、落ち葉が堆積していて滑りやすいので注意。 |
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急な階段の上には小さな拝殿が2つあった。 | |
切通しへ向かう道はここで行き止まりになっていた。 |
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亀ヶ谷(かめがやつ)坂切通しへ向かう道。 | |
亀ヶ谷(かめがやつ)坂(こことここ)は 旧名を亀返し谷坂と言い、 この坂を上ろうとした亀が みなあきらめて帰ったことから こう呼ばれるとのこと。 残念ながら頂上は工事中で行き止まりだった。 |
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新田義貞の鎌倉攻めの主戦場になったという 化粧(けわい)坂切通し(こことここ)。 名前の由来は、昔この坂で、 討ち取った平家の大将の首に化粧をしたからとか、 坂の下に娼家があったからなど諸説がある。 |
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同上。 | |
同上。 | |
同上。 |
化粧坂切通しを登ると源氏山公園に至る。 朝日を浴びる源頼朝像。 |
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朝の鶴岡八幡宮。 | |
覚園(かくおん)寺(手前)のある小さい谷。 | |
覚園寺。 | |
同上。 |
同上。 | |
源頼朝が平泉の中尊寺の二階大堂を模して建立した大寺院 永福(ようふく)寺跡(こことここ)。 往時は壮大な伽藍が立ち並んで隆盛を誇った。 復元模型はこことこことここ。 |
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同上。 | |
紅葉の名所獅子舞(こことこことここ)へ行ったが、 数分歩いても紅葉が見られなかったので途中で引き返した。 既に落葉していたのか、名所がもっと先なのか不明。 |
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紅葉ヶ谷(もみじがやつ)。 この先に鎌倉随一の花の寺として 名高い瑞泉寺(ずいせんじ)(こことこことここ)がある。 |
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開門(朝8時)直後の瑞泉寺入り口。 谷なのでまだ日が射していない。 |
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古びた階段を登る。 | |
本堂。 | |
右下の図の左側の橋。 |
右下の図の天女洞。 |
本堂裏の紅葉。 逆光なので建物が暗くなってしまった。 |
仕方ないので木だけ撮影。 | |
次の目的地へ行く途中の川沿い。 | |
釈迦堂(口)切通し(こことここ)の洞門(七切通しには入っていない)。 左下は大きさ比較用の自転車。 昔、三代執権北条泰時がこの谷のどこかに 父、義時の菩提を弔うために釈迦堂を建てたが、 その場所がいまだにわからないため「幻の寺」と言われる。 |
朝比(夷)奈切通し(こことこことこことここ)の入り口。 大変な力持ちとして知られた 朝夷奈三郎が一夜で開削したという伝説がある。 |
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小川が流れており、 部分的にぬかるんでいる。 |
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地層が露出している。 | |
道がボコボコしている。 | |
もう少しで切通しの頂上。 中央下に写っているのは人。 |
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切通しの頂上。 |
上記頂上の先を右に折れて5分ほど歩くと熊野神社。 | |
階段の上から下を見下ろす。 周囲は森のみ。 |
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横浜横須賀道路の下を潜る。 | |
横浜横須賀道路の先を Uターンして再び切通しに向かう。 道端の道祖神。 |
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頂上以外にも狭い部分がある。 | |
先ほど撮影した頂上を反対側から撮影。 ハイキングのグループが来ていた。 |
マウンテンバイクの集団(10名位)が走っていたが、 全行程の1/3は悪路で走行不可だと思う。 |
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鎌倉の周囲の丘の上には新興住宅地が立ち並ぶ。 ここは鎌倉と逗子にまたがる鎌倉逗子ハイランド。 |
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丘の上だけでなく、谷底にも住宅が立ち並ぶ。 | |
この狭い谷にも住宅が。 向こうの山の上も住宅。 |
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名越切通しはこの道を入る。 下の道は県道311号線(右が鎌倉、左が逗子)。 写真のすぐ左(だったと思う)に 久米新道バス停がある。 |
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超激坂が続くので自転車を押す。 | |
同上。 | |
周囲の眺望。 山の上にも住宅が立ち並ぶ。 |
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激坂の途中から下を撮影。 | |
写真を定規で測ると、勾配23%程度か。 | |
を連想した。 | |
周囲の眺望。 | |
右の円筒形のタンクの左から、 名越(なごえ)切通しの道が始まる。 |
タンクの右の方に洋館が見えた。 |
上の写真のタンク。 車の左から向こうへ向かう道が 名越切通しへの道。 名越(なごえ)切通し(こことこことこことこことここ)は 鎌倉から逗子に抜ける道で、 容易に越え難い道なので「難越」、 それが「名越」に転じた。 |
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途中で工事中の箇所があった(迂回路あり)。 | |
途中に妙な小屋があった。 | |
頂上付近の曼荼羅(まんだら)堂跡(こことここ。通常は非公開) へ向かう分岐。 やぐらや五輪塔がたくさんあるらしい。、 |
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ここが切通しの頂上。 道は3つに分かれている。 |
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真ん中が正しい道。 道の中央に置石がある。 |
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左の道は小さな草原になり、 その先にわずかに眺望が開けていた。 こちらは逗子方面で白い部分の下部は海。 |
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鎌倉方面。 中央の茶色い部分は横須賀線。 |
右の道を登ると無縁諸霊之碑がある。 道はその先にも続いているようだ。 |
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中央の道をさらに進むと苔むした階段がある。 このあたりでUターンした。 |
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峠から戻り、鎌倉へ向かう。 丘の上の右の建物は先ほどのタンク。 ここから小さいトンネルが3つ続くが、 歩道がついているので危険はない。 |
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由比ガ浜から逗子方面を望む。 向こうの丘に先ほどの名越切通しがある。 右端は逗子マリーナ。 |
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稲村ガ崎方面。 | |
左は現在の極楽寺坂切通し(こことこことここ)。 右は成就院へ登る道で、 当時はこちらの付近を通っていたらしい。 |
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成就院参道からの眺望。 明暗のコントラストが強すぎるので、 左の写真で参道を、上の写真で七里ガ浜を撮影した。 |
江ノ電の駅名にもなっているので もっと大きい寺を想像していたが、 以外と小規模な極楽寺。 |
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極楽寺の境内。 | |
高徳院にある鎌倉の大仏(こことここ)。 内部にも入れるらしいが、 気が付かなかった(こことこことこことここ(←音が出ます))。 大仏の作り方はここを参照。 鋳造方法等を紹介したDVDも販売されているらしい。 |
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境内の紅葉。 | |
同上。 | |
同上。 | |
県道32号線(右が鎌倉、左が藤沢)の 「火の見下」バス停の右の道(影になっている部分)を入ると 大仏坂切通し(こことこことここ)に至る。 |
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住宅街の近くとは思えない山道となる。 | |
鎌倉特有の「やぐら」が数個あった。 | |
大仏坂切通し。 | |
同上。 | |
同上。 | |
最後は急坂を下ってハイキング道に合流し、 大仏坂トンネルの鎌倉側出口付近に下る。 |
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トンネルの上へ向かう道があったので登ってみた。 | |
途中の眺め。 左下の建物は大仏坂体育館。 |
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頂上は水道局の施設で中に入れなかった。 その付近からの眺望。 |
旧大仏坂体育館(こことここ)。 | |
銭洗(ぜにあらい)弁天 宇賀福(うがふく)神社 (こことこことこことここ)には裏口から入った。 頼朝の夢枕に宇賀福神が現れ、 「この水で神仏を供養すれば天下泰平になる」と告げ、 頼朝はこれに従って社を建てて祭ったとのこと。 |
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ここのトンネルから入るのが 正しい入り方らしい。 (トンネルの向こうが銭洗弁天。) |
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トンネル内。 | |
右が拝殿。 左の洞窟に湧く銭洗水(鎌倉五名水の一つ )でお金を洗えば、10倍にも100倍にもなるといわれている。 |
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拝殿。 | |
2枚上の写真の洞窟の中。 この緑の部分で銭を洗う。 |
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同上。 右のしゃがんでいる人は銭を洗っている。 |
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同上。 |
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佐助稲荷神社(こことここ)の階段の上から入り口方面を撮影。 左右に鎮座しているのは狐。 源頼朝が伊豆に流されていたときに、 ここの稲荷神が夢枕に立ち、挙兵の助言をした。 佐殿(すけどの:頼朝の幼名)を助けたということで 佐助稲荷神社と言うらしい。 |
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拝殿。 |