宇都宮線・高崎線の尾久駅から見た尾久操車場。 | |
都電の荒川車庫。 |
エレベーター付きの跨線橋(本文中の写真参照)が 鉄道を跨いでいる。 (ただしこのすぐ先に踏切もある。) |
|
跨線橋から見た尾久操車場。 |
本文中の写真のA地点から撮影。 |
左の写真の下を地下道が通っている(本文中の写真の点線)。 |
軍艦島を連想した。 | |
本文中の写真のB地点から撮影。 右は中里貝塚跡(本文中の写真の下の→部分)。 |
|
中里貝塚跡(本文中の写真の上の→部分)。 ここによると、貝塚は埋め戻されているらしい。 |
![]() |
![]() 貝層の高さは何と4.5m! |
上は東北・上越新幹線。 下は田端車両基地内の新幹線。 |
|
モチ坂から見た新幹線と在来線。 | |
電柱に登ろうと試みる猫。 | |
王子駅近くの、都電が正面から撮影できるポイント。 | |
王子駅前の道路を横切る都電。 左下は筆者の自転車。 |
王子駅付近のさくら新道。 | |
桜の名所飛鳥山公園の園内。 | |
園内からの眺望。 | |
飛鳥山公園内に展示されている都電。 |
|
![]() 同じく蒸気機関車 |
|
機関室内部。 | |
渋沢栄一(このとき生家に行った)の渋沢史料館。 |
|
![]() 渋沢史料館・青淵文庫(せいえんぶんこ) |
|
![]() 渋沢資料館・晩香廬(ばんこうろ)。 |
|
窓ごしに中を撮影。 |
交差点を曲がる都電。 | |
東京ゲーテ記念館。 | |
小学生の頃珠算塾に通っていたのを思いだした。 |
|
内田康夫の浅見光彦シリーズに 時々出てくる滝野川警察署。 |
|
岩槻街道の日本橋から二里の地点につくられた 西ヶ原一里塚(こことここ参照)。 |
|
国立印刷局(旧大蔵省造幣局)滝野川工場。 | |
右は滝野川公園内にあった案内板。 左は農林水産省農林水産政策研究所。 近くには地震の体験ができる地震の科学館がある。 |
内田康夫の浅見光彦シリーズによく出てくる和菓子屋平塚亭。 右が平塚神社の参道入り口。 平塚神社の敷地内にある休憩所のような店かと思っていたが、 本郷通り(旧岩槻街道)沿いだった。 |
|
平塚亭。 | |
平塚亭で購入した和菓子でエネルギー補給。 |
|
平塚神社の参道。 |
|
平塚神社は平塚城跡(こことここ参照)に建てられたらしい。 上の写真の本殿の左奥に甲冑塚がある。 |
旧古河庭園(このとき夜景を撮影)。 | |
同上。 | |
同上。 | |
同上。地震で倒れそうだ。 | |
同上。 | |
同上。 | |
同上。 | |
同上。 バラ園だが、今は咲いていない。 |
|
同上。 | |
同上。 |
以後、下町の商店街巡り。 まずは小台本銀座。 |
|
道のうねり具合が何ともいえない。 | |
車が進入してきた。 運転手が何度も降車して 駐輪している自転車を移動させながら 少しずつ進む。 |
|
自販機で大型のドリンク剤発見。 容器はビンでなくペットボトルだった。 |
|
熊の渡し商店街。 店の数は少なかった。 |
|
熊の前商店街。 | |
同上。 | |
同上。 微妙な道のうねり具合。 |
|
旗が多い。 | |
ここから尾久銀座。 | |
同上。 |
180円(税別)のラーメン発見! チェーン店でなく、個人の店らしい。 |
|
鳥居が鉄パイプと鋼板でできている東灌森(とうかんもり)稲荷神社。 | |
田端文士村記念館。 | |
田端付近に住んでいた 作家や芸術家の住居地図。 右の赤い部分は田端駅。 深緑の部分は高台。 |
![]() |
![]() ポプラ倶楽部の跡は保育園になっている。 |
|
ポプラ坂。 | |
芥川龍之介旧居跡の付近だが、 案内板が見つからなかった(元々存在しない?)。 冒頭の参考文献の地図だと右の橙色の家の付近だが、 田端文士村記念館でもらったパンフレットの地図、 およびここの写真だと、左のマンションの付近だ。 またここの写真と左の写真の背景のビルが同じなので、 立て替えられたと思われる。 |
|
いまどき珍しい舗装されていない道発見。 | |
左の新築中の家が高村光太郎の旧居跡。 |
![]() |
![]() 団子坂上交差点から下方を見下ろした写真。 |
|
坂の途中で右にカーブしている。 向こうが団子坂下交差点。 |
|
今度は逆に、手前の団子坂下交差点から 坂の途中のカーブまでの写真。 |
|
(手前の)坂の途中のカーブから 向こうの団子坂上交差点までの写真。 |
|
団子坂付近の別の坂。 このような坂は坂の多い東京でよく見かける。 ここで一曲(←音が出ます)。 |
|
地震が発生したときの解説で出てくる 東京大学地震研究所。 |