尾久駅〜飛鳥山公園〜旧古河庭園〜下町商店街〜文士村記念館〜芥川龍之介旧宅跡〜団子坂
参考資料:東京山手・下町散歩(昭文社) コース6,9,11,10


ここ2週ほど緊急の仕事が入ったため、前回のツーレポから中3週があいてしまった。
例年だとこの時期は梅雨で東京都内ポタリングを行っているので、既に梅雨があけた今年もそれにならう。

まず参考文献の「コース6 鉄道探検 尾久・荒川車庫」を開始。
これは鉄道の撮影スポットを巡るコースだ。
宇都宮線・高崎線の尾久駅まで輪行。
都電荒川線の荒川車庫などを撮影した後、
下記の写真の2つの操車場に挟まれた狭い地域に入っていく。
最後は行き止まりかと思ったが、オレンジ色に示す道が通っていた。


続いて新幹線、京浜東北線沿いの崖の上から写真を撮影した後、
王子駅から「コース9 ミュージアム巡り 飛鳥山」を開始する。
飛鳥山は江戸時代からの桜の名所で、
渋沢史料館紙の博物館飛鳥山博物館の3つの博物館があり、
蒸気機関車や都電の車両が展示してあった。

次に、作家内田康夫の推理小説浅見光彦シリーズ(西ヶ原に住んでいるという設定)に出てくる
和菓子屋「平塚亭」で団子(何種類かあるらしいが、朝なので1種類しかなかった)などを購入した後、
以前夜景を撮影した旧古河庭園へ向かう。
朝は曇天だったが昼前には日が射してきて、園内を歩き回るうちにかなり汗が噴き出した。

続いて田端駅まで移動し、「コース11 下町商店街周遊 尾久・熊の前」を開始。
尾久地区の住宅街を貫く狭い道沿いの昔ながらの4つの商店街を進む。
暑い昼間のせいで、人通りはさほど多くなかった。

周回した後再び田端駅に戻り、最後の「コース10 田端文士村・千駄木」を開始。
田端は元々農村だったが、明治の中頃に上野に東京美術学校(現東京芸術大学)が開校され、
上野から比較的近い田端に、まず芸術家が移り住み、
その後芥川龍之介、室生犀星、菊池寛、萩原朔太郎、田川水泡らの作家が移り住み、
明治から昭和の初めにかけて田端文士村と呼ばれたとのこと。

まず田端駅近くの田端文士村記念館で史料やビデオを見た後、ポタリングを開始。
この付近は坂が多く、道も入りくんでいて、本郷周辺と似ている。
残念なことに、旧居跡の案内板は高村光太郎以外は見つからなかった。
しかし、記念館でもらったパンフレットの地図のおかげで、
芥川龍之介の旧居跡と思われる場所を撮影することができた。

やがて北区から文京区に入り、団子坂に到着。
ここは何の変哲もない坂だが、
作家江戸川乱歩ここを参照)の推理小説明智小五郎(ここここを参照)シリーズで
明智小五郎が初登場したD坂の殺人事件の舞台である。 

坂を撮影した後、今日のポタリングは終了し、自宅まで自走した。
暑いさなかのポタリングのため軽い熱中症にかかったようで、帰宅後少し頭が痛くなった。

宇都宮線・高崎線の尾久駅から見た尾久操車場。
都電の荒川車庫。
エレベーター付きの跨線橋(本文中の写真参照)が
鉄道を跨いでいる。
(ただしこのすぐ先に踏切もある。)
跨線橋から見た尾久操車場。

本文中の写真のA地点から撮影。

左の写真の下を地下道が通っている(本文中の写真の点線)。
軍艦島を連想した。
本文中の写真のB地点から撮影。
右は中里貝塚跡(本文中の写真の下の→部分)。
中里貝塚跡(本文中の写真の上の→部分)。
ここによると、貝塚は埋め戻されているらしい。


貝層の高さは何と4.5m!
上は東北・上越新幹線。
下は田端車両基地内の新幹線。
モチ坂から見た新幹線と在来線。
電柱に登ろうと試みる猫。
王子駅近くの、都電が正面から撮影できるポイント。
王子駅前の道路を横切る都電。
左下は筆者の自転車。
王子駅付近のさくら新道
桜の名所飛鳥山公園の園内。
園内からの眺望。


飛鳥山公園内に展示されている都電。


同じく蒸気機関車
機関室内部。
渋沢栄一(このとき生家に行った)の渋沢史料館。

渋沢史料館・青淵文庫(せいえんぶんこ)

渋沢資料館・晩香廬(ばんこうろ)。
窓ごしに中を撮影。
交差点を曲がる都電。
東京ゲーテ記念館
小学生の頃珠算塾に通っていたのを思いだした。
内田康夫の浅見光彦シリーズに
時々出てくる滝野川警察署。
岩槻街道の日本橋から二里の地点につくられた
西ヶ原一里塚(ここここ参照)。
国立印刷局(旧大蔵省造幣局)滝野川工場。






右は滝野川公園内にあった案内板。
左は農林水産省農林水産政策研究所。
近くには地震の体験ができる地震の科学館がある。
内田康夫の浅見光彦シリーズによく出てくる和菓子屋平塚亭
右が平塚神社の参道入り口。

平塚神社の敷地内にある休憩所のような店かと思っていたが、
本郷通り(旧岩槻街道)沿いだった。
平塚亭。
平塚亭で購入した和菓子でエネルギー補給。
平塚神社の参道。
平塚神社は平塚城跡(ここここ参照)に建てられたらしい。
上の写真の本殿の左奥に甲冑塚がある。
旧古河庭園(このとき夜景を撮影)。
同上。
同上。
同上。地震で倒れそうだ。
同上。
同上。
同上。
同上。
バラ園だが、今は咲いていない。
同上。
同上。
以後、下町の商店街巡り。
まずは小台本銀座。
道のうねり具合が何ともいえない。
車が進入してきた。
運転手が何度も降車して
駐輪している自転車を移動させながら
少しずつ進む。
自販機で大型のドリンク剤発見。
容器はビンでなくペットボトルだった。
熊の渡し商店街。
店の数は少なかった。
熊の前商店街。
同上。
同上。
微妙な道のうねり具合。
旗が多い。
ここから尾久銀座。
同上。
180円(税別)のラーメン発見!
チェーン店でなく、個人の店らしい。
鳥居が鉄パイプと鋼板でできている東灌森(とうかんもり)稲荷神社
田端文士村記念館

田端付近に住んでいた
作家や芸術家の住居地図
右の赤い部分は田端駅。
深緑の部分は高台。

ポプラ倶楽部の跡は保育園になっている。
ポプラ坂。
芥川龍之介旧居跡の付近だが、
案内板が見つからなかった(元々存在しない?)。

冒頭の参考文献の地図だと右の橙色の家の付近だが、
田端文士村記念館でもらったパンフレットの地図、
およびここの写真だと、左のマンションの付近だ。

またここの写真と左の写真の背景のビルが同じなので、
立て替えられたと思われる。
いまどき珍しい舗装されていない道発見。

左の新築中の家が高村光太郎の旧居跡。

団子坂上交差点から下方を見下ろした写真。
坂の途中で右にカーブしている。
向こうが団子坂下交差点。
今度は逆に、手前の団子坂下交差点から
坂の途中のカーブまでの写真。
(手前の)坂の途中のカーブから
向こうの団子坂上交差点までの写真。
団子坂付近の別の坂。
このような坂は坂の多い東京でよく見かける。
ここで一曲(←音が出ます)。
地震が発生したときの解説で出てくる
東京大学地震研究所。

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