高田馬場駅〜早稲田界隈〜戸山公園〜神田川〜新井薬師〜桃園川〜中野坂上駅
参考資料:東京山手・下町散歩(昭文社) コース34,30,33,31



首記参考資料(ウォーキング用)を走るのは今年で3年目だが、
掲載されている115コースのうち、まだ31コースしか走っておらず、
このペースだといつになったら完走できるか分からないので、
今週も暑い中、東京ポタリングに出かけることにした。

まず、高田馬場まで輪行し、参考資料の「コース34 公園&史跡探勝 目白台・早稲田」を開始。
甘泉園公園、新江戸川公園などの庭園を散策する。
椿山荘(ちんざんそう)にも庭園(入り口は神田川側)があり、一般の人でも入れるようだが、
開園は11時なので入れなかった。

続いて早稲田大学(ここここ参照)界隈へ移動。
大隈講堂や学内、周辺の学生街などを撮影した後、馬場下町交差点の穴八幡神社へ。
社殿の撮影を終了して帰ろうとすると、散歩していた人が「背中にセミが付いてるよ」と教えてくれた。
筆者は体が硬くて背中に全く手が回らないのでその人に取ってもらい、
見てみると体長8cm位のセミだった(>_<)。
指摘されなければ、今日はセミを背負ったまま取材する羽目に陥っていた。

続いて戸山公園に向かい、山手線内で最も高い箱根山に登る。
登山道(20mほど)の両脇には草が生い茂っていた。
また頂上の周囲は樹木で遮られており、眺望はゼロだった。

早大理工学部を撮影した後、東中野駅方面に移動し、
「コース30 リバーサイドウォーク 妙正寺川・神田川」を開始する。
神田川にかかる末広橋から新宿高層ビル方面の眺望はなかなかの撮影スポットだ(写真参照)。
ただし時間帯によっては逆光になる。

ここから神田川(ここここ参照)沿いに「四季の道」と呼ばれる遊歩道を走る。
この道は交差する一般道の前後に、自転車では簡単に通過できない車止めがあり、
自転車での走行にはあまり向いていない。

下落合から、神田川に合流している妙正寺川を遡る。
落合という地名は、妙正寺川と神田川が「おちあう(合流する)」ことからきたらしい。
やがて妙正寺川と分かれ、住宅街の中を走る。
朝から晴れたり曇ったりの天気だったが、昼頃から晴れ、暑くなってきた。

西武新宿線の新井薬師前から、「コース33 寺町散歩 上高田」を開始。
このコースで通過する上高田地区には、明治末〜大正期に
浅草・四谷・牛込から移転した寺が集まっているらしい。

新井薬師の境内では盆踊りの準備を行っていた。
功運寺という寺には忠臣蔵の吉良上野介の墓があった。

暑さでアスファルトがじりじり焼ける中、東中野駅を通過し、再び先ほどの末広橋まで戻る。
ここからは「コース31 失われた川を歩こう 桃園川追跡」を開始。
末広橋付近で神田川に注ぐ桃園川は都市化により暗渠となっており、
その上に作られた桃園川緑道を走る。

神田川の遊歩道と違い、車止め部分はほぼ通過できた。
ただし一般道と何度も交差するので、渡るときは注意が必要だ。

途中、多くの著名ボディビルダーを輩出した
中野ヘルスクラブ(2003年閉店)を撮影した後、東高円寺に到着。
味噌一でピリ辛ラーメンを食べた後、中野坂上駅から輪行した。

高田馬場駅前のBIG BOX健在!
西武新宿線の下を流れる神田川(上流方面の眺め)。
同下流方面の眺め。
高級マンションか?
大盛りのつけ麺で有名な超人気ラーメン店の
べんてん(ここここ参照)。

面影橋にて。
都電荒川線と面影橋。
甘泉(かんせん)園公園
園内から高層マンション?を望む。
右の家はどうみても傾いているが、
わざと傾いたデザインにしているのか?

左の建物は明治20年頃に建造された松聲閣(または松声閣:しょうせいかく)。
新江戸川公園の園内。
同上。
神田川と椿山荘。
胸突坂(ここここ参照)。
左は先ほど散策した新江戸川公園、右は椿山荘。
丹下健三氏の作品である東京カテドラル聖マリア聖堂
ジュディオング「魅せられて」の衣装を連想した。
椿山荘(結婚式場とホテル)。
神田川と首都高の入り口。
橋桁がГ型で弱そうだが。
大隈講堂の近くにある
集合住宅?和世陀(わせだ)(ここここ参照)。
大隈講堂
早稲田大学構内。
同上。
大隈重信像。
演劇博物館
教育学部?の建物。
大隈通り商店街。
ここで一曲(←音が出ます)。
観音寺という寺。
大隈講堂〜馬場下町間の商店街。
大学構内には新しい建物が次々に建設されている。
早稲田通り沿いの学帽専門店。
穴八幡
ここでセミが付着した(>_<)。
昭和3年に建築された
早稲田小学校(旧東京市早稲田尋常小学校)。
門が閉まっていて校内に入れなかった。
同上。
レトロなアパート。
早稲田大学の文学部。
文学部にしては異様に大きな建物だ。
文学部の構内。
吉永小百合も第二文学部の卒業生だ。
ここで一曲(←音が出ます)。

昭和10年代の航空写真。
戸山公園の付近はかつて戸山ヶ原と呼ばれ、戦前は陸軍の広大な軍用地が広がっており、
戸山学校、幼年学校、軍医学校、砲工学校、東京第一衛戍(えいじゅ)病院、
済生会病院、近衛騎兵連隊、射撃場などがあった(ここここ)。

また山手線の西側には、陸軍技術研究所(第6〜第8研究所)があった(ここここここ)。


1947年頃の航空写真(ここから転載)。
7つの細長い建物は陸軍大久保射撃場(ここ)。

戸山ヶ原と射撃場は江戸川乱歩の「怪人20面相」にも出てくる(ここ)。

原っぱの一方のはずれ、こんもりとしたすぎ林のなかに、ぽっつりと、
一けんの古い洋館が建っています。あれはてて住み手もないような建物です。

小林少年が二十面相に捕まり、洋館(アジト)に監禁され、窓から外を眺めるシーンでは、

まどの外、広っぱのはるかむこうに、東京にたった一ヶ所しかない、
きわだって特徴のある建物が見えたのです。
東京の読者諸君は、戸山ヶ原にある、
大人国(たいじんこく)のかまぼこをいくつもならべたような、
コンクリートの大きな建物をごぞんじでしょう。

怪人二十面相の洋館の場所は2枚上の写真のAの林あたりだろうか。


左写真の部分は現在、戸山公園(大久保地区)と早稲田大学理工学部になっている。


大久保射撃場の写真(ここから転載)。



戸山公園(箱根山地区)にて。

なぜか大量の傘が。

山手線内で最も高い箱根山。
登ったが、頂上からは、
樹木にさえぎられて何も見えなかった。

(以下後日撮影) 冬の箱根山。
この部分は頂上部であり、
この下にも裾野?が広がっている。

頂上へ向かう階段。
頂上から撮影。
冬なので視界が開けている。
左の人より上が箱根山頂上部で、
その下に裾野?が広がっている。

戸山公園(東側)付近の江戸時代の地図。

戸山公園の付近は、江戸時代、尾張徳川家の下屋敷で、
戸山荘(戸山山荘)と呼ばれていた。
回遊式庭園の中に二十五景をしつらえ、
小石川の水戸家の後楽園とならぶ名園だった。
庭園内の池を掘った土を積み上げた築山が現在の箱根山である(ここ)。

明治時代の地図。陸軍の施設になっている。





昭和10年代の航空写真。
Aの陸軍戸山学校将校集会所、
Bの陸軍近衛騎兵連隊の兵舎、Cの炊事所が現在も残っている。

下の陸軍軍医学校の建物配置図と対比するため、3箇所に点線を付加した。

陸軍軍医学校の写真(ここから転載)。


右図に記載されている
防疫研究室の写真(ここから転載)。


(後日撮影) 陸軍軍医学校跡地に建つ
国立感染症研究所/健康・栄養研究所。
陸軍軍医学校の建物配置図(ここから転載)。上の写真と対比するため、3箇所に点線を付加した。

現在の地図。

現在の航空写真。2枚上の航空写真のA,B,Cが現在も残っている。
(以下後日撮影)

3枚上の昭和10年代の航空写真のA地点にある
陸軍戸山学校将校集会所の跡(ここここ)。
この上は教会と幼稚園になっている。

同上。

同上。

(以下後日撮影)

5枚上の昭和10年代の航空写真の
B地点にある陸軍近衛騎兵連隊の兵舎
(ここここここ)。


学習院女子大学の構内にある。



同上。



同上。




昭和10年代の航空写真のC地点にある
陸軍近衛騎兵連隊の炊事所。
同上。

(後日撮影)

学習院旧正門。
現在は学習院女子大学の正門。
早大理工学部の高層ビル。
戸山公園(大久保地区)。
レトロなアパート。
末広橋からの神田川と新宿高層ビル。

末広橋から下流の眺め。付近には神田川の碑がある。
中央線の下を流れる神田川。
ここで一曲(←音が出ます)。
神田川の両岸の散策路、神田川四季の道
車止めが多く、非常に走りにくい(>_<)。
落合下水処理場付近の神田川。





神田川沿いのアパート。

銭湯。 ここで一曲(←音が出ます)。
妙正寺川。
朝のうち曇っていたが、午後から晴れて暑くなった。
屋根にたくさん突起がある家。
レトロなアパート(3)。

「たきび」のうた発祥の地
ここで一曲(←音が出ます)。
「垣根の垣根の曲がり角♪」の垣根はこれか?
新井薬師の商店街の旗。
新井薬師
写真にタコ焼きの屋台が入ってしまった(>_<)。
境内ではの準備中。



北野神社力石
これを持ち上げるのは無理かも。

吉良家の菩提寺、功運寺
右端が吉良上野介の墓。
墓の前に、吉良邸討死忠臣墓誌
(赤穂浪士でなく吉良側の死者の名簿)があった。
松源寺(通称さる寺:ここここ参照)。


なかなか立派な中野の氷川神社。

暗渠(あんきょ)となった桃園川が神田川に注ぐ地点。
暗渠の上は桃園川緑道となっている。
桃園川緑道。
同上。
緑道に面しているのは一般に家の裏側。
のジムの最高峰だった中野駅近くの
中野ヘルスクラブ(2003年閉店)。
全日本で14回優勝した小沼敏雄選手がスタッフをしていて、
やはり全日本優勝者の谷野義弘選手、 
女子優勝者の水間詠子 石川祐子選手など、
多くの有名選手を輩出した。 

営業していたときは、写真右の枠に
ボディビルの絵が入っていた。
ハードコアで、ボロボロのジムとしても有名だった(^^;)。
緑道は中野を過ぎると樹木が多くなる。
環七沿いの味噌ラーメン店味噌一で、やや辛いピリ辛を食べた。

数年前、一番辛い爆発を食べたが、これが辛いの何の(>_<)。
頭からも汗が噴き出し、鼻水も出た。
スープは辛すぎて半分以上残した。
せめて麺だけでもと思ったが、
麺にも唐辛子が練りこんであるらしく、
麺だけを数本食べては水を飲むという繰り返しで
ようやく食べることができた。
小さい二輪車だが、
キーが付いていたので電動か?

その後調べたところ、これらしい。
旧蚕糸試験所の跡地である
蚕糸(さんし)の森公園にて。
わずかに昔の建物が残っているが気が付かなかった。
オマケ。
今日のポタリングで見つけた豪邸(医院らしい)。

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