深谷〜渋沢栄一生家〜日本煉瓦製造〜熊谷〜元荒川〜荒川〜北鴻巣
参考資料:関東小さな町小さな旅(山と渓谷社)


今回は、最近首記参考資料を読んで興味を持った埼玉県北部の深谷に行くことにした。
深谷は昔、中山道の深谷宿だったところで、煉瓦、実業家渋沢栄一、深谷ネギで有名らしい。

高崎線で深谷まで輪行。
まず、深谷商業高校の校内にある記念館を撮影(校内の撮影なので撮影は人が来る前の方が良い)。

次に中山道に沿って当時の史跡や煉瓦でできた建物、酒造工場?などを撮影する。
深谷と煉瓦の関係についてはここを参照のこと。
(深谷とは関係ないが、煉瓦でできた建物の写真を集めたHPがここにある。)

続いて東京駅に似た深谷駅舎を撮影。
ここは地上からだとプラットホームに遮られて全体写真がうまく撮影できないが、
少々工夫すれば(方法は省略)下記写真のように撮影が可能となる。

次に県道14号線を北上して郊外の田園地帯を走り、
清風亭と誠之堂を撮影した後、渋沢栄一記念館生家に行く。

続いて東の日本煉瓦製造に向かう。この会社(工場)の中に、
日本煉瓦資料館と、ホフマン輪窯(わがま)六号窯という煉瓦を作る窯がある。
ところが、ガイドブックには月曜休みとなっていたが、土日と祝日休みに変更になったらしく、
大変残念なことに、見学はできなかった(>_<)。
(本題とは関係ないが、各種の煉瓦の積み方の写真がここにある。)

昔、日本煉瓦製造から深谷駅までは、煉瓦輸送のため引込み線(日本煉瓦専用線)が引かれており、
その跡地(現在は遊歩道)を走って再び深谷に戻る。
県道264号(中山道)を熊谷まで走り、荒川べりに出る。

以下、写真の下に続く。

深谷商業高校内の記念館。
同上。裏から撮影。
中山道深谷宿の入り口にある常夜灯
大谷家住宅
塚本燃料商会店舗
常盤園茶舗倉庫
この商店街は仲町「勉強会」と呼ぶらしい。
旧柳瀬金物店倉庫
藤橋藤三郎商店米倉?
仲町会館。
深谷には古い木造の建物が多いようだ。
田中藤左衛門商店の表側。
予約すれば見学もできるらしい。
中にある煉瓦作りの煙突。
滝澤酒造とそのHP(←音が出ます。)
上の建物の左側の路地。
裏にある製造所と煙突。
道の上に通路がある。
小林商店
小林商店倉庫
壁に家の跡が貼りついている。

ど根性ガエルのTシャツを連想した。
東京駅に似た深谷駅
ちなみに下左の写真は東京駅、
下右の写真は丸の内にあるビル。

清風亭
誠之堂
渋沢栄一生家から1kmほど離れたところにある
尾高藍香の生家
渋沢栄一記念館。
渋沢栄一の生家。
中へ入れないかと思ったが、ここによると入れるらしい。
深谷ねぎ
古びた看板発見。
以下のように書いてあるようだが?

  重 (屋号か?)
部車動自
木材曾新
日本煉瓦製造の工場内にある日本煉瓦資料館。
裏にある旧変電室は見落とした(>_<)。
ホフマン輪窯六号窯。
備前渠(びぜんきょ)鉄橋
近くにアーチ橋もあるらしいが、見落とした(>_<)。

福川鉄橋(この部分だけ線路が残っている)。
見返りの松。左が中山道。
向こうが東京。手前が深谷宿。
以下熊谷に向かう中山道にて。

またまたど根性ガエルのTシャツを連想した。
単なる丸いオブジェ?
上は送電線。
田んぼの中にポツンとある小さな神社。
家の2階位の高さの巨大なビニール人形。
熊谷の荒川沿いの公園にあるD51

ここからは、以前から計画していた?荒川の流路改変の現地調査を行う。

まず概要を図1で説明する(詳細はここここを参照のこと)。
図1の左図に示すように、昔荒川は熊谷付近から、現在の元荒川という川を通っていた。
江戸時代に、洪水対策から図1の右図の赤い部分を開削し、和田吉野川という川に流れ込むようにした。
そして元の荒川は元荒川という川になった。

今回は、右図のA地点とB地点が現在どうなっているのかを現地調査する。

★図1(ここから転載)


まずA地点の図を図2に示す。
A地点については、Webで調べた限りでは、以下の2点しか分からなかった。

(1)熊谷市の久下(ひさげ)という所で流路を変えた。
(2)このHPによると、現在の元荒川は農林総合研究センター水産研究所(以後水産研究所)が源流である。

そこで、図2のポンプ場の左にやや不自然な方向に道(橙色)が通っていることと、
川の曲がり具合、および元荒川の源流である水産研究所の位置から、
図の赤い矢印のあたりが荒川の昔の流路ではないかと適当に(^^;)推測した。
つまり青の点線部分が、荒川の流路を変えるために新たに開削された部分ということになる。
(当時と流路が変わっている可能性が高いので、この推測は信憑性は低いのは言うまでもない。)

A地点付近を撮影した後、元荒川に沿って下流に向かい、
途中で元荒川と別れ、荒川の大芦(おおあし)橋を渡ってB地点に向かう。

以下、写真の下に続く。
★図2(A地点詳細)                                      


左の部分の航空写真。

以下、A地点の現地調査。
図2のポンプ場。
ポンプ場の隣にある水産研究所。
ここが元荒川の源流になっているらしい。
向こうは荒川上流部。
矢印は図2に対応。
赤は昔の流路(推測)。
上の写真の地点から下流部の眺め。
ここから先が新規に開削した部分(推測)。
堤防上からの眺め。
昔の流路の痕跡は全くない。
上の写真の反対側。
遠方の建物はポンプ場で、
その向こうに水産研究所がある。
ミニミニ動物園(?_?)。
水産研究所脇の水路(左が下流)。
ここが現在の元荒川の源流か?
元荒川(手前が下流)。
左は水産研究所。
上の写真の反対側(上が下流)。
元荒川の源流付近には、ムサシトミヨという魚が
世界で唯一生息するらしい(詳細はここここを参照)。
元荒川に沿って下る。桃の花が咲いていた。
ここが昔、荒川の本流だったのだろうか?
元荒川は一度荒川の堤防から離れ、
再び荒川の堤防に接近する。
ただし、荒川の堤防とは言っても、
川自体は遠方の樹木の先を流れており、
途中は田畑と荒地になっている。
元荒川の蛇行した三日月湖もどきの部分。
(写真の右側がΩの内部。)
流路は下図のようにショートカットされており、
流れの大半はショートカット部分を流れている。
三日月湖の航空写真はここ、生成過程はここを参照のこと。 
元荒川に別れをつげ、B地点の調査に向かう。

この付近の荒川は、左岸と右岸の堤防の間が1〜1.5km位あり、田畑や荒地になっている。
このため大芦橋もかなり長い。ただし川幅自体は30mほどと狭い。

なお、大芦橋から下流に向かって(左岸と右岸に)荒川サイクリングロードが伸びている
(荒川CRの地図はここを参照されたい)。

B地点の詳細を図3に示す。

まず和田吉野川(赤の矢印)沿いに図の橙色の道を進む。
途中で道がなくなったため、徒歩で畑や荒地を通って荒川との合流地点に向かう。
ところが川は途中でゴルフ場に入ってしまい、×の部分から先には進めなくなってしまった(>_<)。

地図を検討したところ、図の茶色の部分に道があるようなので、
自転車で再び荒川の対岸に戻り、茶色の道(周囲は田畑と荒地)を走った。
すると○の部分から、対岸に何とかB地点(和田吉野川と荒川の合流地点)を見ることができた。

北鴻巣駅まで走り輪行して帰宅した。

★図3(B地点詳細)                                                               

左の部分の航空写真。

荒川の左岸と右岸の堤防間は1km位あるが、
川幅自体は30m位しかない。
これが和田吉野川で、向こうの荒川に注ぐ。
右はゴルフ場。
荒川の対岸からB地点に向かう。
この道が図3の茶色の道で、手前が荒川の堤防、
向こうの右から左へ荒川が流れている。
ようやく図3のB地点(和田吉野川と荒川の合流点)に到着。
写真の左は荒川の下流。
青の部分は荒川の開削された部分(推測)。
川の中州の向こう側を和田吉野川が右から左へ流れている。
対岸はゴルフ場。
右が荒川、左が和田吉野川。
手前が下流。
上の写真の地点から下流部を見る。
元々和田吉野川の細い流れだったのが、
荒川が流れるようになって太くなった(推測)。
北鴻巣駅へ向かう道にて。
トラ、象の飼育もOKらしい
ライトアップされた東京駅。
同上。
同上。
同上。

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