高田馬場駅〜鬼子母神〜目白庭園〜谷端川緑道〜柴又帝釈天〜寅さん記念館〜京成高砂駅
参考資料:東京山手・下町散歩(昭文社) コース17,16,114


首記参考資料を終わらせるため、今回もワンパターンの東京ポタリング。

高田馬場駅まで輪行し、「コース17  昔みちを歩く 雑司ヶ谷みち・鬼子母神」を開始。
家を出るとき雨は降っていなかったが、
高田馬場付近は路面が濡れていた(しかし雨は止んでいた)。

このコースは昔道とは言っても、当然ながら当時の面影は全くないので、
適当に寄り道してツーレポ用の写真を撮りながら進む。
コースから少しはずれた所にある、23区内有数の激坂、のぞき坂の登坂に挑戦したが、
1/3位まで登った所で、前輪が浮き気味になって後ろへ倒れそうになったので断念した。

鬼子母神堂、目白庭園、自由学園明日館などを撮影し、池袋駅に到着。

立教大学に立ち寄った後、地下鉄有楽町線千川駅に移動し、
「コース16  失われた川を歩こう 谷端川追跡」を開始。
途中から、暗渠(あんきょ)となった谷端(やばた)川の緑道を走る。
一般道と交差する所で緑道が途切れるので、自転車だと走りにくい。
やがて板橋駅に到着。

次のコースは、首記ガイドブックのコース中で1つだけ離れたコースのため、
ここから長距離を移動することになる(もっと近いコースがいくつかあったが、すでに走破済み)。

移動の途中で、先日の富士山新五合目に登ったときに痛めた
左ひざの右下の部分がまた痛み出したため、何度か休憩を取った。
2ヶ月経っても痛みが出るということは重症か。
普段は触っても痛みはなく、骨、腱、筋肉のどこが悪いのか不明。
筋トレを毎日やっているのが回復しない原因かもしれない。

途中、東京武道館などに寄り、柴又駅に到着し、
「コース114  東京探検 柴又寅さん」を開始。
柴又帝釈天など柴又七福神の寺院、寅さん記念館、矢切の渡しなどに立ち寄り、
京成高砂駅に到着。輪行で帰宅した。

今日は3コースだったが、途中の移動に時間がかかったため、
終了は夕方になった。

新宿区百人町三丁目のあたりには、
戦前、陸軍科学研究所があった。
左は戦前の航空写真。

現在、その中央部は
下のような研究施設になっている。



国立科学博物館分館。

クレハ生物医学研究所。

東京都健康安全研究センター。

蚕糸科学研究所が入ったビル。

諏訪神社内の、
明治天皇射的砲術天覧所跡
昭和18年の案内板が
そのまま残っている。

戦前の航空写真。右上の緑地が諏訪神社。

現在の早稲田大学理工学部付近の、明治時代の地図。
右上が諏訪神社。中央が陸軍戸山学校射撃場。
大学構内でなく、
住宅街の中にある、
早稲田大学材料技術研究所。

面影橋(ピントが合っていない)。
都電面影橋駅。
登りと下りは別ホーム。
神田川。
ここで一曲(←音が出ます)。
(以下の数枚は後日撮影)

宿坂(しゅくさか)。

左は、目白の地名の由来となった、
江戸五色不動の1つ、目白不動のある
金乗院(こんじょういん)。
  



目白不動。



東京23区内有数の激坂(ここここ)ののぞき坂(胸突坂)。
登ろうとしたが、1/3位の所で、
前輪が浮いて後ろにひっくり返りそうになったので断念。

脚的にはまだいけそうだったので、
サドルを低くすれば登れたかもしれない。

しかし転倒した場合に備えてヘルメットが必要かも。
また車が通るので注意。

日本女子大学。上は成瀬記念館(ここここ)。
ここは誰の家かというと、

かの有名な田中真紀子邸でした。



上は昔の写真。田中角栄首相の時代には
上の写真の左の門が正門だったらしいが、
左上の写真(現在)では白いカバーがかかっている。
ロッキード事件当時、ピーナッツピーシーズ
記憶にございません、などという言葉が新聞を賑わした。
ピーシーズというのは何なのか、
改めてネットで調べたが、分からなかった。
かつては左の写真の門の右側も田中邸だったが、
日本女子大に売却した。
変った名前の病院。


鬼子母神堂の参道。



鬼子母神(きしもじん)堂
樹齢600年、樹高30m、幹周8mの大イチョウ。
都内では麻布善福寺のイチョウに次ぐ巨木だそうだ。
旧長崎道。
ガラスの破片を踏みそうになった。

目白庭園(ここここ)と
赤鳥庵(せきちょうあん)。

ここで一曲(←音が出ます)。



同上。

自由学園明日館(みょうにちかん)
(ここここここ)。

自由学園明日館講堂(ここここここ)。

変った建物。


微妙に異なる池袋の地名の由来。
明治時代の池袋の地図。
左下の池が、池袋の地名の由来であるという
形のか。
左はかつて売り場面積日本一だった
東武百貨店池袋本店。
右はメトロポリタンプラザ。
立教大学本館(ここここここ)。
門が閉まっていたので、門の隙間から撮影。

左は立教大学に隣接する、旧江戸川乱歩邸の応接間。
ご存知と思うが、江戸川乱歩((えどがわらんぽ)の名は、
史上初の推理小説「モルグ街の殺人」の作者、
エドガー・アラン・ポーからきている。
恒例の薄い建物
「本」が逆になっているが、
ウケ狙いなのか、設置ミスなのか不明。



谷端(やばた)川の水源、粟島神社内の弁天池。



亀が多い。
千早フラワー公園内の、
地下鉄大江戸線の試作車両。

大江戸線は筆者も通勤に使っている。
リニアモーターだと聞いていたが、
浮上しないので変だと思っていた。
左の説明で、浮上しない方式もあることが分かった。

そういえば、実際の大江戸線の線路にも
こんな物が付いていた気がする。
暗渠(あんきょ)となった谷端(やばた)川の上に作られた、
谷端川緑道
ツタに覆われた家。
この緑道は、
他の道路と交差すると途切れるので、
最寄の横断歩道を渡ることになる。
同上。
同上。
次のコースの起点まで移動中。

巨大団地。
1棟の居住者数は、
小さい村の人口と同じ位かも。
隅田川を渡る。
荒川。
綾瀬川。
異様に高いカミソリ堤防。
ここで調べたところ、この辺りは海抜1m位のようだ。
地面より川の水面の方が高いような気がする。



1991年に日本建築学会賞を受賞した、東京武道館。
同上。






















亀有駅には、少年ジャンプでおなじみの
「こちら葛飾(かつしか)区亀有公園前派出所」の
両さんの像が置かれていた。
亀有公園前派出所に行ってみると、
何と等身大の人形が置かれていた(笑)。
特別に頼んで両さんの机を撮影させてもらった。
というのは真っ赤な嘘で
上の2枚の写真は、ショッピングセンターアリオ亀有の3階にある、
こち亀ゲームぱ〜く(ここここ)でした。

亀有公園前派出所というのは実在しない。
左はモデルとなった亀有駅北口交番。

「こちら葛飾(かつしか)区亀有公園前派出所」は
少年ジャンプに1976年から連載が開始されたので、
筆者の学生時代と重なるが、あまり読んだ記憶がない。
筆者が学生時代に定食屋(一平という名)で読んだマンガで
覚えているのは、ブラック・ジャック、エコエコアザラク、がきデカ
(以上少年チャンピオン)、翔んだカップル(少年マガジン)、
嗚呼!!花の応援団(漫画アクション)なので、
少年ジャンプは置いていなかったのかも知れない。
これはフジミ模型の
プラモデル(ここここ)。

ちなみにフジミ模型は
筆者の実家から1km位の所にある。

株式会社タミヤ(旧田宮模型)も
1km位の所にある。

水量豊かな中川。

古墳の上に建つ柴又八幡神社の社殿(ここここここここ)。

渥美清さんの命日である平成13年8月4日に
この古墳で出土した、「フーテンの寅さん」に(少し)似ている、
帽子をかぶった埴輪(ここここ)。
    
左は後で行く寅さん記念館にある実物。
SMAPの草g剛に似ているような気がするが。
金町公園内の池。

柴又七福神(ここここここ)の1つ、
良観寺。

メタボ健診で積極的支援
判定されるのは間違いない。

柴又七福神の1つ、真勝院。

柴又帝釈天の参道の両側にある。



「フーテンの寅さん」の実家、
「とらや」(シリーズの途中から「くるまや」)のモデル、
高木屋老舗
柴又七福神の1つ(毘沙門天)、
柴又帝釈天の二天門。

帝釈堂。

釣鐘。
薄い鋭角の建物。

山本亭(ここここここ)の航空写真。
門の向うが山本亭。
同上。
玄関には人力車が置かれていた。

                      庭園。

米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズガーデニング」の
日本庭園ランキング調査で、2004〜2006年の3年連続3位にランクされた。



同上。



室内と床の間。
洋間(鳳凰の間)。





















同上。

防空壕跡(未公開)。

鉄筋コンクリート造りで、
約6畳の部屋が2室、シャワー室があるらしい。

左側の母屋の斜めの部分から
降りていくと思われる。
柴又公園。
この裏側に寅さん記念館がある。

寅さん記念館(ここここ)。
同上。



撮影に使用したセット
同上。



同上。

同上。
同上。
矢切の渡し(ここここここここ)。



乗客がいないときはエンジンで走る。

柴又七福神の1つ、真勝院。

柴又七福神の1つ、宝生院。
道路に張り出した木

柴又七福神の1つ、医王寺。

柴又七福神の1つ、観蔵寺。



恒例の、今日の豪邸。



同上

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