恵比寿駅〜代官山〜恵比寿ガーデンプレイス〜庭園美術館〜自然教育園〜泉岳寺〜田町駅
参考資料:東京山手・下町散歩(昭文社) コース83,89,84,85


首記資料の全コースを今年中に完走したいので、今回も都内をポタリング。
(今回終了時点で残り21コースとなった。)

恵比寿駅まで輪行し代官山駅まで移動して
「コース83  ショッピングルート 恵比寿・代官山」を開始。
コースガイドによると、流行に敏感な洒落た店、
話題の店が集まる恵比寿、代官山界隈を歩き、
先端の雰囲気を味わえるコースだそうだ。
もっとも、朝なので大半の店はまだ閉まっている。

しゃれた感じの建物や変った形の建物、
さらには古墳や古代の遺跡も撮影。
最後に恵比寿ガーデンプレイスに到着。
残念ながら展望台はまだ開いていなかった。

続いて再び恵比寿駅に戻り、「コース89  坂道めぐり 目黒」を開始。
坂道が何度も出てくるコースだ。
以前も書いたと思うが、首記資料はウォーキング用なので、
コース中には坂道が階段になっている所もあり、
そういう箇所では自転車を持って登ったり下ったりしなければならない。

また、頻繁に曲がったり小道に入っていったりするので、
少し走っては何度も地図を見なければならず、
方向音痴や地図に慣れていない人だとコースを追うのが難しいと思われる。

ガイドの地図に町の各ブロックの番地(例えば1丁目2-3番地だったら2)が書いてあり、
また都内の建物にはその番地が青い看板で表示されていることが多いので、
両者を対応させて、曲がる道を間違えないようにするのがコツだ。
また方向が分からなくなったときは、方位磁石付ベルが役立つ。

途中、中目黒大使公邸という、よく分からない建物があったので後で調べたところ、
各国の大使が住んでいる建物だそうだ。
また、お寺に付属した美術館があるのも初めて知った。
最後の行人坂はきつくて自転車では登れなかった。

目黒駅に到着し、「コース84  庭園&自然探勝 国立自然教育園・池田山」を開始。
まず東京都庭園美術館に行き、時間がないので美術館自体には入らず庭園を撮影。

続いて隣の国立自然教育園へ。
樹木が生い茂り、都心に近い場所とは思えず、まるで山の中を歩いているようだ。
内部は広く、撮影しながらなので一周するのに40分位かかったと思う。

続いてコースを外れ、古色蒼然とした
旧国立公衆衛生院と東大医科学研究所の建物を撮影。

続いて岡山藩主池田家の下屋敷跡に作られた池田山公園に到着。
公園といっても子供が遊ぶような公園ではなく、手入れの行き届いた庭園だ。

五反田駅に到着し、再び目黒駅に移動して
「コース85  寺町散歩 三田・高輪・白金」を開始。
このコースも坂が多い。
坂の多いコースは夏場だときつく、冬場の方が良い。

寺の多い地帯を抜け、高輪方面に向かい、
赤穂浪士の墓地がある泉岳寺に立ち寄る。

田町駅に到着し、(減量のため)自走で帰宅。























恵比寿駅から渋谷方面に少し行った所(山手線の内側)にある、
変った窓のビル(後日撮影)。
筆者は代官山という街は全くなじみがないが、
ファッションやカフェの店が多いおしゃれな街らしい(ここ)。

以下、筆者の独断で代官山っぽい建物。
同上。
こんなレトロな建物もあった。

ビルの谷間に古墳が残っていた。
再び代官山っぽい建物。
同上。

猿楽古代住居跡

焼失前の写真。

出土品。
デンマーク大使館。
再び代官山っぽい建物。




えびす駄菓子バー
駄菓子食べ放題コースがあるらしい。
毎度おなじみ、薄い建物
工場の建物を利用した
ゼスト キャンティーナ恵比寿店(ここここ)。
やや変った建物が見えた。
サッポロビール本社。
サッポロビールの
工場の跡地に作られた(ここ)
恵比寿ガーデンプレイス
恵比寿ガーデンプレイスタワー。
以下敷地内の建物。
ザ・ガーデンホール。
ビアステーション。
エントランスパビリオン。
やや変った建物が見えた。
恵比寿駅にあるえびす像。
再び筆者の私見で
代官山っぽい建物。
同上。
レトロな建物。
東急東横線の駅名になっている祐天寺
仁王像。
仏足石(仏足跡) お釈迦様の足跡を刻んだ石。
右は大きさ比較用の缶コーヒー。

藤の庚申(こうしん)。
庚申塔についてはここを参照。
上記説明の最後の行によると、
この道は江戸時代は幹線道路だったらしい。




中目黒大使公邸。
各国の大使が住んでいるらしい。

長泉院という寺(左)に、
現代彫刻美術館、野外展示場、彫塑研究所が付属する。

現代彫刻美術館(ここここ)。


野外展示場(全部で3箇所ある)。
同上。

馬喰坂上の庚申塔群
森永乳業の研究所。

看板の多い店(ここここ)。
目黒雅叙園(がじょえん)アルコタワー
(現在は目黒雅叙園とは別資本らしい)。
東京都庭園美術館
同上。
庭園。
同上。


以下国立自然教育園

現在の航空写真。
樹木で覆われ、
都心に近い場所とは思えない。

明治時代の地図。
右側が現在の国立自然教育園の部分。
海軍の火薬庫だったようだ。
上は引込み線。

土塁
左の赤い部分から左側を撮影したのが上左の写真。
道の左右の高くなっている部分が土塁

ここによると、白金(しろかね)という地名は、
1400年以前にこの地を開いた富裕の豪族、
柳下上総介が大量の銀(しろかね)を所有していたことから、
銀長者が変じて白金長者と呼ばれており、
それが変じて地名になったとのこと。
園内の池。
園内の川。





旧国立公衆衛生院(ここここここ)の建物は
塀で囲まれていた。
取り壊されるのだろうか。

右下が旧国立衛生院。左上が東京大学医科学研究所。



東京大学医科学研究所(ここここ)の正面。

1つ上の写真の右側。

1つ上の写真の左側。

やや変った形の建物。

特別出演。抹茶ワッフル。
やや曲がった建物。




岡山藩主池田家の下屋敷跡にある
池田山公園(ここここ)。
薄い建物。
荷物を積んだトラックなどは通れないのでは。
派手な色の建物。

芝の増上寺の支院が寺町を形成している一帯。
グランドプリンスホテル高輪。
貴賓館
レトロな家。

最初のイギリス公使宿館だった東禅寺(ここここ)。

案内板によると、
安政5年(1858)7月に締結された日英通商条約により、
翌6年6月6日イギリス初代公使オールコック等がここに駐在し、
我が国最初の「イギリス公使宿館」となった。
大正14年築の東芝高輪クラブ(中には入れない)。

以下、忠臣蔵で有名な
赤穂浪士が眠る泉岳寺。


左奥が大石内蔵助の墓。
右の大きな墓は主君の
浅野長矩(ながのり)の墓。
スリランカ大使館。


幽霊坂。
慶應義塾大学。

慶大生ご用達のラーメン二郎(ここここ)。
左の写真を見ると、この建物も薄い、と言うか三角形。

次のレポートへ ツーリングの記録へ  ホームへ 自転車紹介へ プロフィールへ リンクへ