恵比寿駅から渋谷方面に少し行った所(山手線の内側)にある、 変った窓のビル(後日撮影)。 |
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筆者は代官山という街は全くなじみがないが、 ファッションやカフェの店が多いおしゃれな街らしい(ここ)。 以下、筆者の独断で代官山っぽい建物。 |
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同上。 | |
こんなレトロな建物もあった。 | |
ビルの谷間に古墳が残っていた。 |
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再び代官山っぽい建物。 | |
同上。 | |
猿楽古代住居跡。 |
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焼失前の写真。 |
出土品。 |
デンマーク大使館。 | |
再び代官山っぽい建物。 | |
えびす駄菓子バー。 駄菓子食べ放題コースがあるらしい。 |
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毎度おなじみ、薄い建物。 |
工場の建物を利用した ゼスト キャンティーナ恵比寿店(ここ、ここ)。 |
やや変った建物が見えた。 | |
サッポロビール本社。 | |
サッポロビールの 工場の跡地に作られた(ここ) 恵比寿ガーデンプレイスの 恵比寿ガーデンプレイスタワー。 |
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以下敷地内の建物。 ザ・ガーデンホール。 |
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ビアステーション。 | |
エントランスパビリオン。 | |
やや変った建物が見えた。 | |
恵比寿駅にあるえびす像。 | |
再び筆者の私見で 代官山っぽい建物。 |
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同上。 |
レトロな建物。 | |
東急東横線の駅名になっている祐天寺。 | |
仁王像。 | |
仏足石(仏足跡) お釈迦様の足跡を刻んだ石。 右は大きさ比較用の缶コーヒー。 |
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藤の庚申(こうしん)。 庚申塔についてはここを参照。 |
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上記説明の最後の行によると、 この道は江戸時代は幹線道路だったらしい。 |
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中目黒大使公邸。 各国の大使が住んでいるらしい。 |
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長泉院という寺(左)に、 現代彫刻美術館、野外展示場、彫塑研究所が付属する。 |
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現代彫刻美術館(ここ、ここ)。 |
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野外展示場(全部で3箇所ある)。 |
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同上。 |
馬喰坂上の庚申塔群。 |
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森永乳業の研究所。 | |
看板の多い店(ここ、ここ)。 |
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目黒雅叙園(がじょえん)アルコタワー (現在は目黒雅叙園とは別資本らしい)。 |
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東京都庭園美術館。 | |
同上。 | |
庭園。 | |
同上。 | |
以下国立自然教育園。 |
現在の航空写真。 樹木で覆われ、 都心に近い場所とは思えない。 |
明治時代の地図。 右側が現在の国立自然教育園の部分。 海軍の火薬庫だったようだ。 上は引込み線。 |
土塁。 |
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左の赤い部分から左側を撮影したのが上左の写真。 道の左右の高くなっている部分が土塁。 ここによると、白金(しろかね)という地名は、 1400年以前にこの地を開いた富裕の豪族、 柳下上総介が大量の銀(しろかね)を所有していたことから、 銀長者が変じて白金長者と呼ばれており、 それが変じて地名になったとのこと。 |
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園内の池。 | |
園内の川。 |
旧国立公衆衛生院(ここ、ここ、ここ)の建物は 塀で囲まれていた。 取り壊されるのだろうか。 |
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右下が旧国立衛生院。左上が東京大学医科学研究所。 |
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東京大学医科学研究所(ここ、ここ)の正面。 |
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1つ上の写真の右側。 |
1つ上の写真の左側。 |
やや変った形の建物。 |
特別出演。抹茶ワッフル。 |
やや曲がった建物。 | |
岡山藩主池田家の下屋敷跡にある 池田山公園(ここ、ここ)。 |
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薄い建物。 | |
荷物を積んだトラックなどは通れないのでは。 | |
派手な色の建物。 | |
芝の増上寺の支院が寺町を形成している一帯。 |
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グランドプリンスホテル高輪。 | |
貴賓館。 |
レトロな家。 | |
最初のイギリス公使宿館だった東禅寺(ここ、ここ)。 案内板によると、 安政5年(1858)7月に締結された日英通商条約により、 翌6年6月6日イギリス初代公使オールコック等がここに駐在し、 我が国最初の「イギリス公使宿館」となった。 |
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大正14年築の東芝高輪クラブ(中には入れない)。 | |
以下、忠臣蔵で有名な 赤穂浪士が眠る泉岳寺。 |
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左奥が大石内蔵助の墓。 右の大きな墓は主君の 浅野長矩(ながのり)の墓。 |
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スリランカ大使館。 | |
幽霊坂。 |
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慶應義塾大学。 | |
慶大生ご用達のラーメン二郎(ここ、ここ)。 左の写真を見ると、この建物も薄い、と言うか三角形。 |