稲荷神社のイチョウ。 |
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エスビー食品の研究所。 | |
薄い建物。 右が旧川越街道。左が現在の川越街道。 |
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薄い建物(黄色)。 右が富士神社通り。 |
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薄い建物。 左が富士神社通り。 |
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長崎富士塚。 |
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中には入れないので、 金網越しに撮影。 |
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薄い小さなスナック?が3軒並んでいた。 ここで一曲(←音が出ます)。 |
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この角に、 帝銀事件(ここ、ここ、ここ、ここ)の 現場となった 帝国銀行椎名町支店があった。 |
事件直後の帝国銀行椎名町支店前(ここから転載)。 戦後の混乱期なので、質屋を改造した仮支店。 |
両側を建物に囲まれた参道。 | |
参道の先にはこの神社があった。 | |
江戸時代末期に建てられた 岩崎家住宅(ここの(11))。 |
銭湯。 | |
茶色のビルが建っているあたりに、 昔トキワ荘(ここ、ここ、ここ、ここ、ここ、ここ)という アパートがあり、1953年〜1961年にかけて、 手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫などの 漫画家が住んでいた。 |
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トキワ荘の模型(ここから転載)。 |
トキワ荘の模型(ここから転載)。 この模型は石ノ森萬画館にある。 |
トキワ荘の写真(ここから転載)。 |
内部の様子(ここから転載)。 部屋割りについてはここ、ここを参照。 |
トキワ荘があった付近には、 舗装されていない道が残っていた。 |
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トキワ荘の漫画家がよく食べに行ったという 松葉(ここ、ここ、ここ、ここ、ここ)。 店頭には松葉が出てくる漫画のコピーが貼られているそうだが、 まだ開店していなかったので、上記は他のサイトから拝借。 |
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薄くて赤いビル。 | |
洒落た建物。 建築設計事務所らしい。 |
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洒落たレストラン。 | |
徳川黎明(れいめい)会(ここ、ここ、ここ) |
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中には入れない。 | |
学習院大学。 | |
高層ビルを背景に走る都電。 | |
いきなりの激坂。 |
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同上。 | |
坂の上にある日立目白クラブ(ここ、ここ、ここ、ここ)。 元は学習院の寄宿舎だった。 現天皇陛下もここで寮生活を過ごされたらしい。 |
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同上。 |
同上(上とは別の建物)。 | |
江戸時代、幕府の狩猟地だった おとめ山公園(ここ、ここ、ここ、ここ)。 湧き水を利用して ホタルの養殖が行われている。 |
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おとめ山公園を分断する道路にあった看板。 | |
このコースでは階段が何回か出てくる。 この階段(写真に写っていない部分があと半分ある)は 自転車を持って登った。 |
こういうグッズが流行っているのか? | |
この路地の奥の右側に、 佐伯祐三( ここ、ここ、ここ、ここ)旧居の 佐伯公園(アトリエのみ)がある。 佐伯公園(ここ、ここ、ここ、ここ)は 場所が分かりにくいので、 事前に地図で調べて行った方がよい。 |
白い建物がアトリエ。 この辺りは大正11年頃から 目白文化村(ここ、ここ、ここ)という 郊外住宅地が開発された。 |
アトリエ。 |
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同上。 |
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再び激坂。 |
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林芙美子記念館(ここ、ここ、ここ、ここ)。 |
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同上。 |
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同上。 |
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左の部屋が書斎。 |
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書斎(表)。 |
書斎(裏)。 |
1931年に完成した聖母病院(ここ、ここ)。 |
林芙美子記念館にあった昭和30年頃の写真。 |
大相撲の貴乃花部屋。 |
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東京大学海洋研究所。 | |
物々しい名前の東大付属中高。 |
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幡ヶ谷道と雑色道の追分(分岐点)にある 向台(むこうだい)の地蔵尊(ここ、ここ)。 |
案内板があるのに気づかなかったので、ここから転載。 |
上記分岐点の現在。 |
明治時代。 |
江戸時代。 |
左の地蔵の下部の石。 左側に縦に「左はたがや(幡ヶ谷)道」、 右側に縦に「右ぞうしき(雑色)道」と刻まれているのが かすかに分かる。 |
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道路の真中に建つ妙な柱。 | |
オマケ 今日のコースで見かけた大邸宅。 |
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同上。 | |
同上。 |