板橋本町駅〜トキワ荘跡〜おとめ山公園〜佐伯祐三旧居〜林芙美子記念館〜東新宿五丁目駅
参考資料:東京山手・下町散歩(昭文社) コース15,21,18,32


今回も東京ポタリング。

地下鉄三田線の板橋本町駅まで輪行し、
首記参考資料の「コース15  昔みちを歩く 大山みち・板橋&椎名町」を開始。
王子・板橋方面の人々が大山(神奈川の?)参拝に使った昔道を歩くルートだそうだが、
沿道には当然ながら昔の面影はない。

途中、長崎富士塚に寄るが、道からちょっと離れていたため、一度通り過ぎてしまった。

戦後の混乱期に起きた有名な帝銀事件の現場を過ぎ、椎名町駅に到着。

西武池袋線東長崎駅まで移動し、
「コース21  下町銭湯探訪 長崎・目白」を開始。
参考資料は2001年発行なので、コースに掲載されていても
すでに廃業している銭湯が何軒かあった。

途中、漫画家の梁山泊として有名なトキワ荘の跡地に寄る。

やがて目白駅に到着。高田馬場駅に移動し、
「コース18  坂道めぐり 落合・下落合」を開始。
妙正寺川の北側の坂を登ったり降りたりするコースで、
階段が何箇所か現れるため、、
自転車を持って登ったり降りたりしなければならず大変だ。

コースを少しはずれて佐伯公園や聖徳病院を撮影した後、
「放浪記」で有名な林芙美子が晩年を過ごした林芙美子記念館に到着。
庭の紅葉がきれいだった。

やがて西武新宿線の新井薬師前駅に到着。
ここから南下して、地下鉄丸ノ内線の東中野駅から
「コース32  昔みちを歩く 中野」を開始。

旧石神井道、妙法寺への参拝道、旧本郷村の村道、旧雑色道を結ぶコースで、
途中にはいくつかの地蔵尊が残っている。

地下鉄大江戸線の西新宿五丁目駅に到着し、輪行で帰宅。




稲荷神社のイチョウ。
エスビー食品の研究所。
薄い建物
右が旧川越街道。左が現在の川越街道。
薄い建物(黄色)。
右が富士神社通り。
薄い建物。
左が富士神社通り。

長崎富士塚
中には入れないので、
金網越しに撮影。
薄い小さなスナック?が3軒並んでいた。
ここで一曲(←音が出ます)。

この角に、
帝銀事件(ここここここここ)の
現場となった
帝国銀行椎名町支店があった。

事件直後の帝国銀行椎名町支店前(ここから転載)。
戦後の混乱期なので、質屋を改造した仮支店。
両側を建物に囲まれた参道。
参道の先にはこの神社があった。
江戸時代末期に建てられた
岩崎家住宅(ここの(11))。
銭湯。


茶色のビルが建っているあたりに、
昔トキワ荘(ここここここここここここ)という
アパートがあり、1953年〜1961年にかけて、
手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫などの
漫画家が住んでいた。


トキワ荘の模型(ここから転載)。

トキワ荘の模型(ここから転載)。
この模型は石ノ森萬画館にある。

トキワ荘の写真(ここから転載)。

内部の様子(ここから転載)。
部屋割りについてはここここを参照。
トキワ荘があった付近には、
舗装されていない道が残っていた。

トキワ荘の漫画家がよく食べに行ったという
松葉(ここここここここここ)。
店頭には松葉が出てくる漫画のコピーが貼られているそうだが、
まだ開店していなかったので、上記は他のサイトから拝借。
薄くて赤いビル。
洒落た建物。
建築設計事務所らしい。
洒落たレストラン。

徳川黎明(れいめい)会(ここここここ)
中には入れない。
学習院大学。
高層ビルを背景に走る都電。
いきなりの激坂。
同上。
坂の上にある日立目白クラブ(ここここここここ)。
元は学習院の寄宿舎だった。
現天皇陛下もここで寮生活を過ごされたらしい。
同上。
同上(上とは別の建物)。

江戸時代、幕府の狩猟地だった
おとめ山公園(ここここここここ)。
湧き水を利用して
ホタルの養殖が行われている。
おとめ山公園を分断する道路にあった看板。
このコースでは階段が何回か出てくる。
この階段(写真に写っていない部分があと半分ある)は
自転車を持って登った。
こういうグッズが流行っているのか?

この路地の奥の右側に、
佐伯祐三( ここここここここ)旧居の
佐伯公園(アトリエのみ)がある。

佐伯公園(ここここここここ)は
場所が分かりにくいので、
事前に地図で調べて行った方がよい。

白い建物がアトリエ。

この辺りは大正11年頃から
目白文化村(ここここここ)という
郊外住宅地が開発された。





アトリエ。



同上。
再び激坂。

林芙美子記念館(ここここここここ)。



同上。



同上。

左の部屋が書斎。

                    書斎(表)。

書斎(裏)。

1931年に完成した聖母病院(ここここ)。

林芙美子記念館にあった昭和30年頃の写真。

大相撲の貴乃花部屋
東京大学海洋研究所。



物々しい名前の東大付属中高。

幡ヶ谷道と雑色道の追分(分岐点)にある
向台(むこうだい)の地蔵尊(ここここ)。


案内板があるのに気づかなかったので、ここから転載。

上記分岐点の現在。

明治時代。

江戸時代。

左の地蔵の下部の石。
左側に縦に「左はたがや(幡ヶ谷)道」、
右側に縦に「右ぞうしき(雑色)道」と刻まれているのが
かすかに分かる。
道路の真中に建つ妙な柱。
オマケ
今日のコースで見かけた大邸宅。
同上。
同上。

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