駿河小山駅〜神縄断層〜金時公園〜足柄峠〜足柄城跡〜金太郎伝説の里〜夕日の滝〜大雄山駅
参考資料:なし


どうもサボリ癖がついてしまい、前回からまた大分間隔があいてしまった。

今回は、前回のツーリングで当初行くことを予定していて、
現地で天候が悪いために断念したコースに再挑戦することにした。

このコースには富士山が登場するため、富士山が見えないとどうしようもない。
天気予報によると、本日の御殿場地方は終日晴れ。
しかし早朝の東海道線内から御殿場方面の空を見るとやや雲が多かった。

大磯?付近で、一応富士山が見えているのを発見したので決行することとし、
国府津で御殿場線に乗り換え、駿河小山に到着。

ところで、その昔、インド大陸がアジア大陸に衝突し、
海だった部分が隆起してヒマラヤ山脈ができたという学説をご存知だろうか。

下図はここから転載。


下図はここから転載。


そして日本列島でも、規模こそ小さいが、同様の衝突が起こったという学説がある。
それはズバリ伊豆半島。
昔、島だった伊豆半島が南から北上し、本州に衝突したというのだ(ここに模型の動画?あり)。

下図はここから転載。

別の説明図。ここから転載。

ここの1番下の記事によると、東名高速の沼津、御殿場、大井松田へ至る経路が、
衝突前の本州の海岸線にあたるそうだ
これは下図(ここから転載)の富士山と箱根山の間の線である。


さらに調べてみると、本州と伊豆半島が衝突した痕跡が残っていることが分かった。
それが、これから行く神縄(かんなわ)断層である。

西沢川沿いの道を遡る。道は途中から林道になる。
突然、後ろからハフハフハフハフという何度聞いても嫌な無声音が聞こえたので
ギョッとして振り返ると、大型の黒い犬が後ろから追い越していった。
どうも付近の民家で飼っている犬らしい。

やがて道はダートになる。
ここから先、目的地までの距離が分からないので、数分ほど自転車を押して歩いたが、
勾配が結構急なため、自転車を置いて歩くことにした。

神縄断層に関する案内板が何一つ見当たらないので、本当にあるのか若干不安になる。
15分程度歩いただろうか。ようやく神縄断層に到着した。

そこで目にしたものは、、、、、
う〜ん、何と申しましょうか、予想外に小規模な断層でした(笑)。

再び自転車を置いた地点まで徒歩で戻る。
先ほど犬と遭遇したあたりで犬の激しい鳴き声が聞こえており、
また先ほどのハフハフ犬が飛び出してくるのではないかという恐怖に襲われる。
しかし犬は鳴き声だけで姿をみせず、幸いなことに犬に食われずにすんだ

続いて足柄峠に向かう。
途中、金太郎ゆかりの金時神社の案内板があったので寄ってみることにする。
(ただしその後、案内板がなかったので、行くときは事前に道を調べておいた方がよい。)

筆者は金太郎(ここここここ)についての知識は皆無に近いので、
下記に概要を示す(ここから転載)。

童謡「金太郎」や、赤い腹掛けでおなじみの金太郎とはどんな子供だったのでしょう。
足柄山で生まれた金太郎は、赤い体をした大変力の強いたくましい子供でした。
いつも大きなまさかりを肩に、けものや魚、鳥などを仲間として山中を裸でかけまわて遊んでいました。
相撲を取って熊を投げ飛ばしたり、暴れんぼうの大鯉を捕まえたり、金太郎は山でも大将でした。
けれども金太郎は決して威張らず、いつも動物達をかわいがりました。
お弁当は山の仲間に分けてやり、谷を渡れない動物のために木を倒して橋をかけてやりました。
力とともに知恵と勇気をもった正義の味方だったのです。

やがて成長した金太郎は都に上り、鬼や盗賊を退治した有名な武士になったのです。
金太郎は鎌倉時代の説話集に源頼光(平安時代中期の武将)の四天王の一人として、
坂田公時(さかたのきんとき)という名で登場し、大江山で酒呑童子(しゅてんどうじ)を退治します。
金太郎はこの坂田金時の少年時代の話であり、英雄おいたち伝説といって良いでしょう。

余談だが、金太郎飴は金太郎に由来する。、
また金時豆、宇治金時などに使われる「金時」は、
金太郎、すなわち坂田金時(さかたのきんとき)の赤い肌色に由来する。
さらに、きんぴらゴボウは坂田金時の息子(架空の人物)の
坂田金平(さかたのきんぴら)に由来するらしい(ここ)。

金太郎の生誕地は、静岡県の小山町とも、神奈川県の南足柄市とも言われている。
そして小山町の生誕地が、立ち寄った金時神社である。(後で、南足柄市の生誕地にも寄る。)

次に、県道365号線(金太郎富士見ライン)に入り、足柄峠を目指す。
前半は勾配が(筆者の脚力では)かなりきつく、登山者が歩くのとほぼ同じ速度でゆっくり登る。
途中でゴルフ場が横に見え、さらに進むとゴルフ場のクラブハウスに到達する。
勾配はここまでがきつく、この先はアップダウンを何度か繰り返し、前半よりはきつくなくなる。

途中富士山が見え隠れするが、次第に上部が雲に覆われてきてしまった。

やがて足柄峠に到着。
峠のすぐそばにある、足柄城址の遊歩道を散策。
足柄峠には他に関所跡、聖天堂などがあり、少し先には足柄万葉公園がある。

峠の先はほぼずっと下りとなる。
足柄古道がときどき県道を横切る。

地蔵堂という集落に、冒頭で紹介した金太郎の南足柄市での生誕地があるので立ち寄り、
その後夕日の滝に行く。思ったより迫力のある滝だった。

この先もずっと下りで大雄山駅に到着し、輪行で帰宅。

なお、今日のコースの途中で、カラフルなジャージに身を包んだサイクリスト数人とすれ違った。
こちらは普通の服装でしかも折りたたみ自転車だが、
ヘルメットを被っているのと、坂道を走っていることから、
一応仲間と認識してもらえるらしく、ほぼ全員と挨拶した。

早朝の東京駅。
しばらく工事中だった右側部分がベールを脱いでいた。
ここによると、左の建物とのツインタワーらしい。

右側部分の建物。



すごい数のグラスだ。
駿河小山からの富士山。
この川(鮎沢川?)は下流で酒匂(さかわ)川となり、
小田原で太平洋に注ぐ。
富士山はいつ雲に覆われるか分からないので、
現れているうちに撮影。
昔、島だった伊豆半島が本州に衝突した痕跡が残っている
神縄(かんなわ)断層を見に行く。

右の道は県道394号で、その右がフジボウ(富士紡績)。
ここで左の道を進み、道なりに西沢川を遡る。
住宅街を過ぎると林道生土(いきど)不老山線が始まる。
すぐにダートとなったため、自転車を置き、徒歩で進んだ。

林道の開始地点から1.5kmより少し先が神縄断層。
久しぶりに山道を歩く。
15分ほど歩くとゲートが現れた。
左のポールの外側から向う側に抜け、
300mほどで神縄断層に到着する。
ここから50mほどで神縄断層。

看板の右側が
神縄断層(ここここここここここ)。
中央の縦の線が断層で、
その左が本州、右が当時島だった伊豆半島らしい。
大きさ比較のため、灰色のブロックの左上に、
黒いヘルメットを置いている。

もっと大規模かと思ったが。。。
拡大した写真。
縦の白い線は植物のツルだと思われる。

これが衝突した痕跡とは、にわかには信じられない。

右下はヘルメット。
金時神社へ行く途中で見かけた建物。
木の幹の上に建っているように見えるが。

金太郎(坂田金時)生誕の地と言われる
金時神社(ここここ)。
金太郎のマサカリ。
熊に乗った金太郎。
地球儀と思われる謎の球体。
いつの間にか富士山の周りに雲が発生してしまった。
下は御殿場線。
県道365号を進むと、
やがて富士山の裾野が現れた。
(1つ上の写真は、富士山の上部のみだった。)
ゴルフ場のクラブハウスからの富士山。
県道365号は別名金太郎富士見ラインと言うらしい。
交通量は少なく快適だ(ただし勾配はきつい)。
誓いの丘(ここここ)でイベントをやっていた。
筆者は現在メタボリックシンドローム状態で、
健康診断の結果、産業医から減量を強く指示されたため、
最近ダイエットを開始した(ここの左下のをクリック)。

誓いの丘では、
「内臓脂肪と皮下脂肪を徹底的に除去し、
メタボ状態から脱却する。」ことを誓ったのであった。
ススキと富士山。

道端の芭蕉句碑。

足柄峠(ここここ)の三叉路。
橋の左は足柄城址の一の郭(くるわ)、
右は南郭で、
道路の部分は堀切にあたる。

なお、足柄峠の看板は、
この先、左の道を少し下った
右側にあった。

足柄峠を通過した著名人。

階段を登ると足柄城跡(ここここここ
ここここここここここここここ)の
一の郭(くるわ)。

一の郭にある玉手ヶ池。
一の郭。
富士山はかなり雲に覆われてしまった。
周囲も霞んできた。
手前が二の郭。向うが三の郭。その間は空堀。
なお、城郭に関する用語はここここを参照されたい。
三の郭から二の郭を撮影。
その間は空堀。
井戸の跡。
井戸の内部は埋まっていた。
こんな高い場所でも水が出たのだろうか。
足柄の関付近に案内板があったが、
汚れて字が不鮮明だった。
ここからリンクされている案内図だと、何とか判別できる。
またここも参考になる。

足柄の関
門は映画のセットで使われたもの。
聖天堂(ここここ)。

         足柄万葉公園(ここここ)。

園内の石碑。

足柄平野の眺望。

足柄古道(ここここここ)が
県道と何度も交差する。


地蔵堂の手前から急に道が良くなった。
しかも、通行人がほぼゼロなのに歩道までついている。
茶畑。

地蔵堂集落の入口にあった案内板。














字が擦れて読みにくい。

ここによると、
昔、金太郎は足柄の山中で育ったと言われていますが、
その出生の言い伝えの一つに「地蔵堂の四万長者という
お金持ちの娘が、酒田村(現在の開成町)の酒田氏に嫁入りしたが、
わけがあって実家に戻り金太郎を生んだ」という話があります。
この四万長者は、現在の佐藤家(中島屋敷)だと言われており、
金太郎が使ったと言われている馬の鞍が、
同家には保存されています。
また、金太郎が子供の頃に遊んだと伝えられている
「かぶと石(正面上側)」,「たいこ石(正面下側)」が
残っています。
素朴な疑問だが、なぜまさかりを担いでいるのだろうか?

よく読めないが、ここによると、
金太郎が相撲のテッポウの稽古をした石。
金太郎が片手で突く度に「ドーン」「ドーン」と大きな音がした。
右が太鼓石、左奥が兜(かぶと)石。

ここが金太郎生家跡地との事だが(ここ)。
家の土台が残っているが、まさか
金太郎生家そのものの土台ではないだろう。
中央やや右の石が兜石。
左の山の下が金太郎の生家。
遠方の山は矢倉岳。
川沿いにわずかに田んぼがある。

なかなかの迫力だ。

そういえばそんな歌もあった。幼稚園で習ったのだろうか。
帰りはほぼずっと下り。
大雄山駅前の金太郎。
大雄山駅の近くで、ジャズのコンサートをやっていた。

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