源頼朝が流されていたと言われる蛭ヶ小島。 | |
源頼朝と北条政子の像。 |
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蛭ヶ小島内にある、18世紀中頃以前の民家。 歴史民俗資料館になっている。 |
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蛭ヶ小島の遠望。 | |
レトロな家並。 | |
この付近の地名は、 「伊豆の国市韮山(にらやま)韮山」。 合併で伊豆の国市ができる前は 「韮山町韮山韮山」だった。 なお伊豆の国市は、2005年に 伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併してできた。 伊豆の国市の北隣は伊豆市で、2004年に 修善寺町、土肥町、天城湯ヶ島町、中伊豆町が 合併してできた。 |
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斜めから見るとイチゴの絵が現れる。 | |
これは韮山反射炉。 | |
○内に2本見えるのが韮山反射炉。 |
みやげもの店の上に飛行機が! | |
韮山反射炉を建設した 江川太郎左衛門(坦庵)。 |
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大きさ比較のため、 右端に知らない人を入れて撮影。 |
入園券販売所に 貼ってあった反射炉の説明。 右側の炉と左側の炉の2組があり、 右側の炉を反時計周りに90度回転すると、 左側の炉と同じ向きになる。 右下の図の黄色い部分に 「反射」炉の意味が書いてある。 |
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当時の様子。 現在は反射炉だけが残っている。 |
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左の写真の左側は もう1組の反射炉。 |
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左の2枚の図の説明。 |
Aの外部。 |
Aの外部の左の穴。 |
Aの外部の右の穴。 |
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Bの外部。 |
Bの外側。 |
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@の外部。 |
江川邸近くのバス停。 家の名前が停留所名になっている。 |
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バスの本数は少ない。 *は休日運休。 |
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江川邸から周囲の眺め。 | |
江川邸の門。 以下、邸内の詳細は、 江川邸の公式ホームページを参照。 |
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屋敷の玄関。 | |
ここに代官所の建物があったらしい。 |
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屋敷の裏側にいくつかの建物が並ぶ。 右は井戸。 |
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同上。 |
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同上。 |
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屋敷。 | |
屋敷内の土間。 |
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同上。 |
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屋敷の内部。 | |
屋敷から庭の眺め。 | |
小雨の中を10分ほどカッパを着て走ると、 いったん雨が止んだ。 この手前だけ雨が降ったようで、 この先の道路は濡れていない。 |
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山の近くだけ雨が降ったようだ。 | |
埴輪。 |
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復元した弥生時代の住居。 |
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右は高床式倉庫。 なお、高床式倉庫のキットというのが あるらしい。 ネズミ返しを撮影するのを忘れた。 |
上の図は穴を横から見たところ。 下の図は穴を上から見たところ。 |
黄色い矢印の横穴群が、 下の写真。 |
上の写真の黄色い矢印部分の横穴。 |
黄色い図(右)は、穴を上から見たところ。 |
横穴群。 風化しないように、ネットをかぶせた後、 モルタルを吹き付けて固めているらしい。 |
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同上。 |
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横穴群の上の散策路から撮影。 右中央の茶色っぽい部分が上記横穴群。 |
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公園の外側に、1番古い横穴墓がある。 向かいは住宅街だ。 |
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谷に降りていく散策路。 | |
このように整備されていない 穴も残っている。 |
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丹那盆地(写真の手前)の西側出口。 この川は盆地から外に流れるので、 向うの山の方に向かっている。 |
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雨にけむる丹那盆地。 写真の手前の山に 別荘群(南箱根ダイヤランド)が点在するが、 雨のため撮影できなかった。 |
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以下、1930年の北伊豆地震の際に生じた 断層の跡が保存されている丹那断層公園にて。 上は丹那断層を示す立体地図。 赤線が丹那断層。 |
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赤線が丹那断層。 上の点線が東海道新幹線の新丹那トンネル。 下の点線が東海道本線の丹那トンネル。 いずれも丹那盆地の下を通っている。 新幹線の走行中に 地震で断層がずれたら大変なことになる。 |
ここによると、 当時この場所に 建てられていた家屋は 断層の真上にあった ために大破し, その庭にあった石組み、 およびそのわきの石垣が 2.5mほどずれたとのこと。 |
赤が丹那断層線。 下がずれた石垣。 遠方の建物が地下観察室。 |
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ずれた石垣。 |
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1番遠方がずれた石垣。 中央の「_| ̄」がずれた水路。 手前の「 ( ) 」がずれた円形のゴミ捨て場。 |
ずれた円形のゴミ捨て場(ここから借用)。 |
ずれた水路(ここから借用)。 雨天で気合が入っていなかったためか、 ずれた塵捨て場と水路との写真を正面から 撮影するのを忘れたので、他のサイトから借用。 |
地下観察室。 | |
同上。 | |
同上。 「 / 」の線が丹那断層。 |
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縦線が丹那断層。 |
田代集落の古い家。 | |
雨にけむる田代盆地。 | |
この道の突き当たりに 火雷(からい)神社がある。 |
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1930年の北伊豆地震の際に生じた 断層の痕跡が保存されている 火雷(からい)神社。 左の階段と左端の鳥居は現在使われているもの。 右の階段と鳥居の残骸(「-|」形の柱)は地震当時のもの。 |
(ここから転載) |
地震当時の階段と、階段の正面に建っていた 鳥居の間に断層線が走っており、 地震によって左の矢印のようにずれ、 鳥居は柱を残して崩壊した。 |
赤は断層線。 |
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旧階段の上から下を見た写真。 赤は断層線。 |
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地面に転がっているのは 崩壊した柱の残骸のようだ。 |
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田代城跡。 | |
函南(かんなみ)駅に下る途中の下界の様子。 雨は止んだが、結局今日は一度も晴れなかった。 |