伊豆長岡駅〜韮山反射炉〜蛭ヶ小島〜江川邸〜柏谷横穴群〜丹那断層公園〜火雷神社〜函南駅
参考資料:なし



今回は久しぶりに富士山を撮影しようと思い、晴天のチャンスを待っていた。

台風一過の次の日の天気予報を調べたところ、
御殿場地方は朝から夕方まで晴れとの予報だったので、
早朝の東海道線で出発した。

東京では半分ほど晴天が広がっていたが、
御殿場線の乗り換え駅である国府津に近づくにつれ、
空は雲で覆い尽くされてしまった。
このままでは富士山を撮影するのは無理だと判断し、
急遽、数日前に計画していた別のコースに切り替えることにした。

国府津で乗り換えずにそのまま三島まで行き、
伊豆箱根鉄道に乗り換え伊豆長岡駅に到着。

韮山反射炉に行くが、まだ開門していなかったので、
先に蛭(ひる)ヶ小島(ここここここここ)に行く。
平治の乱に敗れた源頼朝は、ここ蛭ケ小島に流され、
1160年(14歳)から挙兵する1180年(34歳)までの20年間を、
この地で過ごしたとのこと(ただしこの場所について確証はないらしい)。

開門時間が近づいたので再び韮山反射炉(ここここここここ)に戻る。
ここは確か小学校の遠足で来た記憶があるが、
当時は反射炉の意味が分からず(あるいは説明を真面目に
聞いていなかっただけかも知れない)、
炉の中が鏡になっていて光が反射するのかと思っていた。

反射炉は、江戸時代末期に各地で作られた溶解炉の一種で、
主に洋式の野砲の砲身を鋳造するために建設された。

韮山の反射炉は2組あり、さらにそれぞれ左右対称なので、
同じ案内板が別の箇所にも出てきてやや混乱する。
そこで案内板の写真を全て撮影して後日解析し、何とか下の写真のようにまとめた。

ついで江戸時代の代官屋敷江川邸に行く。
(なお、江川邸の公式ホームページはよくできている)。
江川家の36代江川太郎左衛門(坦庵)は名代官として知られ、
海防の必要性から沿岸測量、上記韮山反射炉、お台場の建設、
わが国最初の様式帆船建造、種痘の実施、パン製造など多大な業績を残したそうだ。

邸内にはガイドの方が数名いて、説明をしてくれる。

なお、江川邸の裏山に、戦国時代の武将北条早雲が拠点とし、
没するまで住んでいた韮山城跡(ここここここここ)があるが、
地図の表示を見落としていたため行かなかった。

それにしても、源頼朝、北条早雲、江川太郎左衛門という、
異なる時代の歴史上の有名人が、1km程度の範囲にいたというのはなかなか興味深い。

江川邸を出た所で雨が降り始めたので(天気予報は。。。)、カッパを着て走る。

歴史をさらに遡り、柏谷公園内にある柏谷(かしや)横穴群(ここここここ)に行く。
ここは古墳時代に造られた横穴群で、
東西約600m、南北約250mの中に300基以上の横穴があるそうだ。
公園に着くと幸い雨は止み、散策路を歩いて横穴を見学する。

ここから県道18号を通って丹那(たんな)盆地に行く。
県道18号は登りで車がたくさん通る。
前半はやや道が狭く、筆者の場合、登りでは走行が左右にぶれるので、
車に接触しないように注意して走行した。
途中から再び雨が降り始め、カッパを再装着する。

やがて丹那盆地に到着。
ここはNHK-BS2放送の「絶対少年」(ここここここ)田菜編というアニメの
舞台になった場所 (ここここここ)らしい。

盆地の南東にある丹那断層公園(ここここここここここここここここ)に行く。
ここには1930年の北伊豆地震の際に生じた断層の跡が保存されている。
当時建設中の東海道線丹那トンネルでは、ちょうどトンネルの先端近くに断層が走っていて、
北伊豆地震のために2mずれて先端部が消失したらしい。
ずれを補正するため、丹那トンネルの軌道はゆるいS字型になっているとのこと。

丹那断層公園内は、雨なので人影は全く見当たらない。
カッパを着たまま、レンズが濡れないように傘をさして何とか撮影した。

最後にここから3kmほど北に進み、田代盆地に向かう。
集落の端にある火雷(からい)神社(ここここ)にも、
北伊豆地震の断層の跡が残されており、再び傘をさして撮影する。

帰りに函南(かんなみ)駅へ向かう途中、ようやく雨は止んだ。
函南駅から輪行で帰宅。

源頼朝が流されていたと言われる蛭ヶ小島。



源頼朝と北条政子の像。
蛭ヶ小島内にある、18世紀中頃以前の民家。
歴史民俗資料館になっている。
蛭ヶ小島の遠望。
レトロな家並。
この付近の地名は、
「伊豆の国市韮山(にらやま)韮山」。

合併で伊豆の国市ができる前は
「韮山町韮山韮山」だった。

なお伊豆の国市は、2005年に
伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併してできた。

伊豆の国市の北隣は伊豆市で、2004年に
修善寺町、土肥町、天城湯ヶ島町、中伊豆町が
合併してできた。
斜めから見るとイチゴの絵が現れる。
これは韮山反射炉。
○内に2本見えるのが韮山反射炉。
みやげもの店の上に飛行機が!
韮山反射炉を建設した
江川太郎左衛門(坦庵)。
大きさ比較のため、
右端に知らない人を入れて撮影。
入園券販売所に
貼ってあった反射炉の説明。

右側の炉と左側の炉の2組があり、
右側の炉を反時計周りに90度回転すると、
左側の炉と同じ向きになる。

右下の図の黄色い部分に
「反射」炉の意味が書いてある。
当時の様子。
現在は反射炉だけが残っている。
反射炉は2組あり、さらに左右対称で説明しにくいので、
片方の反射炉に着目し、各方向に@、A、Bと番号を付けて、
以下の説明内で使用する。
@の左側がA、@の裏側がBである。
















左の写真の左側は
もう1組の反射炉。

Aの内部構造。

                                 @の内部と思われる。

左の2枚の図の説明。
Aの外部。

Aの外部の左の穴。

Aの外部の右の穴。

Bの外部。

















                           
                                       Bの外部。

Bの外部。

Bの外側。

@の外部。

江川邸近くのバス停。
家の名前が停留所名になっている。
バスの本数は少ない。
*は休日運休。
江川邸から周囲の眺め。
江川邸の門。

以下、邸内の詳細は、
江川邸の公式ホームページを参照。
屋敷の玄関。

ここに代官所の建物があったらしい。
屋敷の裏側にいくつかの建物が並ぶ。
右は井戸。



同上。

同上。
屋敷。



屋敷内の土間。



同上。
屋敷の内部。
屋敷から庭の眺め。
小雨の中を10分ほどカッパを着て走ると、
いったん雨が止んだ。

この手前だけ雨が降ったようで、
この先の道路は濡れていない。
山の近くだけ雨が降ったようだ。

埴輪

         復元した弥生時代の住居。

右は高床式倉庫。
なお、高床式倉庫のキットというのが
あるらしい。

ネズミ返しを撮影するのを忘れた。

上の図は穴を横から見たところ。
下の図は穴を上から見たところ。
黄色い矢印の横穴群が、
下の写真。

上の写真の黄色い矢印部分の横穴。

黄色い図(右)は、穴を上から見たところ。





横穴群。
風化しないように、ネットをかぶせた後、
モルタルを吹き付けて固めているらしい。



同上。
横穴群の上の散策路から撮影。
右中央の茶色っぽい部分が上記横穴群。




公園の外側に、1番古い横穴墓がある。
向かいは住宅街だ。
谷に降りていく散策路。
このように整備されていない
穴も残っている。
丹那盆地(写真の手前)の西側出口。
この川は盆地から外に流れるので、
向うの山の方に向かっている。
雨にけむる丹那盆地。

写真の手前の山に
別荘群(南箱根ダイヤランド)が点在するが、
雨のため撮影できなかった。


以下、1930年の北伊豆地震の際に生じた
断層の跡が保存されている丹那断層公園にて。
上は丹那断層を示す立体地図。
赤線が丹那断層。
赤線が丹那断層。

上の点線が東海道新幹線の新丹那トンネル。
下の点線が東海道本線の丹那トンネル。
いずれも丹那盆地の下を通っている。

新幹線の走行中に
地震で断層がずれたら大変なことになる。
ここによると、
当時この場所に
建てられていた家屋は
断層の真上にあった
ために大破し,
その庭にあった石組み、
およびそのわきの石垣が
2.5mほどずれたとのこと。

(ここから転載)

赤が丹那断層線。
下がずれた石垣。
遠方の建物が地下観察室。



ずれた石垣。
1番遠方がずれた石垣。
中央の「_| ̄」がずれた水路。
手前の「 (  ) 」がずれた円形のゴミ捨て場。

ずれた円形のゴミ捨て場(ここから借用)。

ずれた水路(ここから借用)。

雨天で気合が入っていなかったためか、
ずれた塵捨て場と水路との写真を正面から
撮影するのを忘れたので、他のサイトから借用。
地下観察室。
同上。
同上。
「 / 」の線が丹那断層。
縦線が丹那断層。
田代集落の古い家。
雨にけむる田代盆地。
この道の突き当たりに
火雷(からい)神社がある。
1930年の北伊豆地震の際に生じた
断層の痕跡が保存されている
火雷(からい)神社。

左の階段と左端の鳥居は現在使われているもの。
右の階段と鳥居の残骸(「-|」形の柱)は地震当時のもの。

(ここから転載)
地震当時の階段と、階段の正面に建っていた
鳥居の間に断層線が走っており、
地震によって左の矢印のようにずれ、
鳥居は柱を残して崩壊した。



赤は断層線。
旧階段の上から下を見た写真。
赤は断層線。
地面に転がっているのは
崩壊した柱の残骸のようだ。
田代城跡
函南(かんなみ)駅に下る途中の下界の様子。
雨は止んだが、結局今日は一度も晴れなかった。

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