1947年頃の登戸研究所の写真。 左上に少し離れて縦に並んでいるいくつかの建物は、 開発した器材の製造工場。 |
現在の明治大学生田校舎の写真。 |
崖の上にある明治大学生田校舎。 崖下を小田急線が通っている。 |
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左の守衛所で、事前に見学申請をした旨を伝え、 構内(崖の上)に入る。 |
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実験中の事故で亡くなった所員を祭るために、 研究・開発に対しておくられた報奨金で建立された 弥心(やごころ)神社。 |
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同上。 | |
青酸ニトリール、ヘビ、フグ、キノコの毒などが、 要人暗殺用兵器として開発されていた36号棟。 この建物は現在でも使われている。 |
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扉が開いていたので中を撮影。 | |
36号棟の周囲には温室が立ち並ぶ。 | |
36号棟の近くにある弾薬庫。 | |
右の草むらの中に、下の写真の弾薬庫がある。 | |
弾薬庫。 戦後の一時期、学生サークルの部室として使われていたらしい。 |
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偽造紙幣の倉庫として使用された26号棟。 | |
同上。 | |
同上。 | |
同上。 | |
右下が26号棟。 |
日本軍の軍資調達のため、 偽物の中国紙幣を印刷していた5号棟。 45億円分以上の中国紙幣を印刷し、 25〜30億円相当を中国で使用したと言われている。 |
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同上。 | |
同上。 | |
同上。 | |
陸軍の★のマークがついた当時の消火栓。 | |
動物実験で犠牲になった動物の 動物慰霊碑。 |
1947年頃の写真。 ○で囲んだ部分が掩体壕と思われる(一番左が今回撮影した壕)。 周囲を見るとさらにいくつか写っている。 [参考文献]によると、調布飛行場周辺に30基ほどあったとのこと。 この地図に掩体壕と思われる記号が載っている。 しかし米軍の地図にも載っているので場所は把握されていたようだ。 |
現在の写真。 左の写真の調布飛行場の部分は駐車場や建物になっている。 |
上の写真の一番左の掩体壕。 現在は物置として使われている。 |
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同上。 | |
同上。 | |
同上。 | |
同上。 | |
旧調布飛行場に建つ警視庁警察学校。 |
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こちらは警察大学校。 | |
東京外国語大学。 | |
同上。 | |
広大だが人の少ない武蔵野の森公園。 ここも旧調布飛行場の一部らしい。 |
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武蔵野の森公園から東京外国語大学を望む。 | |
現在の調布飛行場。 | |
同上。 |
近藤勇生家跡。 |
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同上。右は当時の写真。 |
空襲前の写真(扇形の部分が武蔵製作所)。 |
空襲中?の写真(ここから転載)。 |
1947年頃の写真。 |
現在の写真。 右の丸い部分に、かつてプロ野球国鉄(現ヤクルト)スワローズの グリーンパーク球場(ここ、ここ、ここ,)があったらしい。 左下の湾曲した部分は 三鷹駅、武蔵境駅から武蔵製作所への引込み線の跡(ここ、ここ)。 |
1947年頃の写真。 試作工場の上半分は破壊されているように見える。 |
現在の写真。 試作工場の部分に似た形のノコギリ屋根の工場が建っている。 |
富士重工三鷹製作所の入り口。 仕事で3回ほど構内に入ったことがある。 |
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国際基督教大学(ICU)の入り口(この道は600m位続く)。 構内は広くて緑が多く、ピクニックの親子連れを見かけた。 |
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国際基督教大学側から見た 当時の試作工場の位置に建っている、 富士重工のノコギリ屋根の工場。 |
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国際基督教大学本館として使われている設計本館。 上から見るとEの形をしており、 Eの出っ張った部分は建物の裏側になる。 |
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近年外観を改装したらしい。 |
これは改装前の写真(ここから転載)。 もう少し大きな写真がここにある。 |
次の目的地へ移動中に見つけた 変わった名前の会社。 |
1947年頃の写真。枠は研究所の敷地を示す。 終戦後2,3年たっているので一部田畑になっているようだ。 枠で囲んだ部分は、 水陸両用戦車の実験用に作られた プールらしい(こことここ参照)。 |
現在の写真。 |
(以下後日撮影) 今回は行かなかったが、次のツーリングで 東京学芸大付近に行ってみた。 東京学芸大近くの プール前というバス停の近くにある、 塀で囲まれた空き地。 上記写真の枠で囲んだプール跡だと思われる。 |
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(後日撮影) 学芸大構内。 当時の雰囲気が残っているような気がする。 |
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(後日撮影) 3枚上の写真の、 右下の付近の塀(当時のものではないと思うが)。 塀の右が学芸大。 |
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(後日撮影) 情報通信研究機構。 |
1947年頃の写真。 枠は敷地の範囲ではなく、右写真と比較するための道路。 |
現在の写真。 |
この建物は上水公園の管理棟となっており、 草野球の受付や用具置き場になっているようだ。 |
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グラウンド(写真撮影位置の後方)で 草野球の試合をしていたので、 これ以上は後ろに下がれず、 建物の全景を撮影できなかった。 ポールの下にいるのは草野球の選手と審判。 |
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(後日撮影) 全景 |
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(後日撮影) 裏側。 |
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受付の人に頼んで内部を撮影させてもらった。 内部の写真はここが詳しい。 |
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同上。 | |
同上。 | |
同上。 ここは二階。 |
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同上。 |
次の目的地への移動中に、 昔一時期住んでいた場所の付近を通過したのでついでに撮影。 就職のため上京し、最初に2ヶ月ほど住んでいた 日立マイクロコンピュータエンジニアリング(日立マイコン) という会社の寮2棟(けやき寮という名)が ここにあったが、すでに別の建物になっていた。 (撮影した建物が違っていたので後日再び撮影。) その寮は、長い廊下の片側に 六畳一間の畳部屋がずらりと並んでいた。 2人部屋なので、畳の中央から半分(三畳)が 自分のスペースだった。 風呂、トイレは共同。 |
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(後日撮影) 建物の周囲。 |
何と当時の航空写真が ここの「カラー空中写真の閲覧へ」にあった。 枠内の2棟が寮。 左の写真は↓の付近で撮影。 |
寮から2kmほど離れたところにある 旧日立マイコンの本社は健在。 ここで入社式を行った(その後1年で転職)。 日立マイコンはその後一部が分離、 さらに他社と合併し、社名も変わった。 |
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向かいにある日立マイコンの親会社の 工場(旧日立製作所武蔵工場)。 ここの半導体製造現場で2ヶ月研修をした。 この工場は最近日立製作所から切り離され、 三菱電機から切り離された同種部門と合併し、 別会社となった。 |
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津田塾大学。 | |
同上。 | |
玉川上水駅と多摩都市モノレール。 | |
玉川上水駅は西武拝島線の駅でもあるが、 電車基地があるためか近くに踏切がない。 そのためか、自転車をエレベーターに載せて2階に上がり、 駅の構内を通り抜けるようになっている。 ただしエレベーターは狭く、自転車を斜めに(室内が正方形とすると対角線状に)しないと入らない。 |
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モノレール。 |