猿橋〜犬目宿〜座頭転がし〜野田尻宿〜鶴川宿〜上野原宿〜吉野宿〜小原宿〜相模湖駅
参考資料:自転車旅行案内1(山海堂)P101,
東京近郊サイクリングコースガイド(山と渓谷社)P44
昨日は秋晴れの雲一つない天気で、空は青く澄み渡っていた。
昨日夜の天気予報では、今日も昼過ぎまで晴れのはずだったが、朝起きてみると例によって曇天(>_<)。
最新の予報技術をもってしても、いまだに半日先の天気の予測は難しいようだ。
ちなみに翌日は再び雲一つない天気だった。
五街道の一つ甲州街道は、日本橋から甲府を経て下諏訪に至る街道だ。
今日はその一部、 猿橋〜鳥沢〜犬目〜野田尻〜鶴川〜上野原〜関野〜吉野〜与瀬(現在の相模湖駅)〜小原
の各宿場を走る。
事前にネットを調べ、甲州街道を徒歩で走破したレポが掲載されているHPをたくさん発見したので以下に示す。
なお、今回、旧甲州街道の細かい経路までは調査しなかったので、忠実に走破する場合はこれらを参照のこと。
ここ(歴史探訪あり)、
ここ、
ここ、
ここ、
ここ、
ここ、
ここ、
ここ、
ここ、
ここ(
←音が出ます。)
猿橋駅まで輪行し、まず駅と山の上の住宅地を結ぶモノレール(シャトル桂台)に乗る(無料)。
無人運転で、乗客が下にいて車両が上にいる場合は、ボタンを押すと下に降りてくる仕組みだ。
モノレールというよりはエレベーターに近いとも言える。
次に日本三大奇橋として有名な猿橋に行く。
川の水面から高いところに橋を架けるため、橋桁を使わない構造になっているらしい。
事前にネットで調べたところ、猿橋〜鳥沢間は中央線の廃線跡が残っている(
ここ、
ここ、
ここを参照)らしいので、
国道20号線を走りながら注意したが、残念ながら一箇所も見つけることはできなかった。
なお、国道20号はダンプなどの大型車両が飛ばすので、走行には注意が必要だ。
鳥沢宿の先を左へ分岐して県道30号に入る。
ここから犬目峠まで、標高差はさほどないはずだが、
最近あまり峠越えをしていないせいか結構急な登りが続いた。
峠の手前の最後の恋塚集落の付近に、旧甲州街道の石畳の道や一里塚が残っていた。
その後ピークが2度あり、2度目のピークが犬目峠と思われる。
峠を越え、
君恋温泉の先に犬目宿がある。
ここが今日のコースで最も山奥の宿となる。
残念なことに、1970年の大火で宿場の6割近くが焼失したとのこと。
犬目宿のはずれで道が3本に分かれ、県道30号から分かれて
一番左の「この先行き止まり」の道を進むと、新田という集落に到着。
ここは宿場ではないが、恐らく昔からの集落と思われ、今回のコース中では最も宿場らしいたたずまいだった。
集落の先から、その昔甲州街道の難所であった「座頭転がし」となる。
昔、目の不自由な人2人が登っていて、曲がった道とわからずに、
前の人の声を頼りにまっすぐ進んだら、谷底に落ちて死んでしまったという伝説があるらしい。
細い未舗装の山道なので、自転車を押して慎重に進む。
座頭転がしの終わり近くの家に白い大型の犬がいて、
道のすぐそばの檻の中で狂ったように吠え続けている。
正確に描写すると、吠えては一周回転し。。。を繰り返している。
檻には水平方向に木の板が張られているが、板と板の間隔が広いため、
犬が隙間から飛び出してくるのではないかという恐怖を覚える。
覚悟を決め、目をつぶって檻の横を通り抜けた(>_<)。
再び県道30号に合流する。
この先、周囲は開けてきて、現代の甲州街道である中央高速に沿って進む。
野田尻宿の手前で再び県道30号と分かれる。
野田尻宿を通過してさらに進み、再び県道30号と合流して鶴川宿に入る。
ここは宿場の雰囲気が多少残っていた。
次の上野原宿では旧甲州街道は国道20号ではなく市街地の中を通っている。
ただし周囲は普通の住宅で、宿の面影はなかった。
県道520号から国道20号に入り、関野の付近で右折して細い道に入る。
冒頭で紹介したHPのどれかに、この道が旧甲州街道だと書いてあったような気がするが定かではない。
なお、後で調べたらこの右折した付近は関野宿だったが、うっかり見落とした。
藤野駅付近から再び国道20号に入り、交通量が多いので慎重に走る。
吉野宿にある藤野郷土資料館を見学。
3階建ての古い建物で、昔の品々が所狭しと並べられている。
次の相模湖駅付近は昔の与瀬宿らしいが市街地で痕跡はなかった。
さらに進み、小原宿に到着。
本陣祭ののぼりが並んでおり、宿場っぽい建物がいくつかあった。
到着が遅かったため、本陣はすでに閉館していて入場はできなかった。
相模湖駅まで戻り、輪行で帰宅した。
|
猿橋駅と山の上の住宅地を結ぶ
シャトル桂台(こことここ参照)。 |
|
車両を拡大。 |
|
車内からの眺め。
中央の白い建物は中央線の猿橋駅。 |
|
前から見た車両。 |
|
山の上の住宅街。 |
|
山の上からの眺望。
中央に見えるのは桂川(相模川)。 |
|
日本三大奇橋の1つ、猿橋。
|
|
|
|
川の水面から高いところに橋を架けるので、橋脚を使わず、
棟と桁(けた)を何段も重ねて両岸の崖からせり出させて
かけ渡してあるとのこと。
橋の組み立てキットではこうなっている。 |
猿橋から下流の眺め。 |
橋から下を見ると(>_<)。 |
|
対岸より撮影。 |
|
上の黒い橋が猿橋。 |
|
鳥沢に向かう途中にて。
|
|
鳥沢宿。
古そうな建物が多少残っている。 |
|
鳥沢の先で右の国道20号から分かれ、
左の旧甲州街道(県道30号線)に入る。 |
|
廃屋のようだ。 |
|
勾配は結構きつい。 |
|
次第に山深くなる。 |
|
曇天だが富士山が見えた。 |
|
恋塚集落付近で、県道から少しはずれたところに、
旧甲州街道の石畳がわずかに残る。 |
|
犬目峠手前の最後の恋塚集落。
かつて馬宿があったらしい。
左の道が旧甲州街道と思われる。 |
恋塚の一里塚。 |
|
|
犬目峠付近の茅葺屋根の家。 |
|
|
犬目宿。1970年の大火で
宿場の6割近くが焼失したとのこと。 |
|
犬目宿にある犬目の兵助の生家跡。 |
|
犬目宿の先にあったハイテクっぽい建物。 |
左上が犬目宿のはずれ。中央右が左写真の建物 |
|
県道30号から分かれ、
宿場っぽい雰囲気のある新田集落に入る。
この先が難所、座頭転がしとなる。
|
|
以下座頭転がし。
山道なので自転車を降りて歩く。 |
|
下の道は県道30号線。 |
|
この小さい沢は自転車を担いで渡る。 |
|
地面に落ちている木の枝が車輪にからまったりする。 |
|
崖の上が3枚上の写真のあたり。 |
再び県道30号に合流。
矢坪坂の古戦場の案内板があった。 |
|
|
田園地帯が続く。 |
|
野田尻宿と扇山。 |
|
中央高速の旧道(拡張前の道らしい)。 |
|
以下の長峰砦や旧甲州街道のあった場所を、
中央高速が貫通している。 |
|
|
|
次第に建物が多くなってきた。 |
|
鶴川宿。 |
|
昔は鶴川の川越に難儀したらしい。 |
|
上野原宿の先にある諏訪番所跡。 |
|
諏訪番所跡の先の相模川。
|
|
藤野駅近くの甲州街道と思われる道。
この先、細くてアップダウンのある山道になる。 |
|
|
|
吉野宿は治29年の大火で宿場全体が焼失。
この建物は旅篭「ふじや」で、
焼失後再建され、郷土資料館ふじやとなる。
築130年だそうだ。 |
郷土資料館の向かいには本陣があった。
現在では土蔵のみが残る。
|
|
|
郷土資料館に展示されている本陣の模型。
模型の右側が、上左の写真の土蔵。 |
|
以下郷土資料館にて。
これははた織り機。 |
|
蚕のまゆの羽を取る機械か? |
|
蓄音機。 |
|
つるべ桶と滑車。 |
|
自在かぎ。 |
|
1、2階の他に、3階(屋根裏)にも展示場がある。 |
|
かご。
(特別出演:加護ちゃん) |
|
小原宿。 |
|
小原宿本陣(こことここ参照)。 |
|
すでに閉館していたので、すきまから撮影した。 |
|
帰りの電車の中から見えた夕焼け。
ここで一曲(←音がでます)。 |
次のレポートへ ツーリングの記録へ ホームへ 自転車紹介へ プロフィールへ リンクへ