武州荒木〜利根大堰〜見沼代用水〜見沼通船堀〜氷川女体神社〜中山神社〜氷川神社〜大宮
参考資料:なし
青と緑の実線が今回走った経路。
                                   青の実線と点線は見沼代用水
先年、浦和市、大宮市、与野市が合併してさいたま市になったが、
見沼区という区名について議論になったのは記憶に新しい。

見沼についての簡単な歴史はここここ(小学生用教材)に紹介されているが、
まとめると、江戸時代に現在のさいたま市から川口市にまたがる大きな沼があり、
それを八丁堤という堤防で区切り、干拓して見沼田んぼにした(芝川から水を排水)。
その後、見沼代用水という潅漑用水を利根川から引いたとの事だ。

今回は花見を兼ねて、見沼代用水沿いを通る
「緑のヘルシーロード」(地図はここここを参照)を走ることにした。

熊谷から秩父鉄道の武州荒木まで輪行。
一度北へ向かい、利根川から見沼代用水への取水口に行く。

途中、斜め前方に放し飼いの(首輪をしていた)白い犬が見えた。
と、目が合った瞬間、犬は狂ったように吠えながらこちらへ走ってきた。
戻るに戻れず全力で自転車を漕ぐと、もう1匹犬が現れ、
二匹の犬は吠えながら自転車の左右を併走した(>_<)。
幸い前方から車が来たため犬は去ったが、併走している15秒位の間、生きた心地がしなかった。
老人など心臓の弱い人だと、犬に攻撃されて発作で死亡する可能性もあり、
(特に攻撃的な)犬を放し飼いにする飼い主にはいつもながら全く腹が立つ。

やがて見沼代用水の取水口に到着。
付近の利根川の河原で放し飼いの犬(または野犬)を新たに2匹発見したが、
今回は少々距離があり、犬はこちらに気が付かなかったため攻撃されなかった。

ここから見沼代用水沿いの緑のヘルシーロードを南下する。
代用水の大部分では両側に道がついていて、
一方が緑のヘルシーロードで車は基本的に通れず、
他方は道が多少広く、車が通るが通行量は少ない。
前半は道沿いの所々に菜の花が咲いており、見栄えのよい方の道を走った。
なお、一般道と交差する部分では信号や横断歩道のない箇所が多く、横断には注意が必要だ。

途中、元荒川と交差するが、見沼代用水は合流せずに元荒川の川底を通過する。
さいたま市に入り、今度は綾瀬川と交差するが、ここでも綾瀬川の川底を通過する。
その後すぐに見沼代用水は二手に分かれる。東側と西側の代用水をそれぞれ東縁、西縁と呼ぶ。

ここから先は東縁に沿って進む。周囲は次第に住宅が多くなる。
七里総合公園の先から、右側に見沼たんぼが見え始める。
ここからは桜並木がずっと続いており、花見客の姿が多くなる。
見沼田んぼの見所紹介はここに詳しい。

ところで干拓される前の見沼の推定位置をWebで探したが、
ここここここここに概略地図があるだけだった。
図1図2を比較すると大体の場所が推察できる。
図からわかるように、見沼代用水の東縁と西縁は見沼の湖岸沿いを通っているようだ。


図1 江戸時代の見沼           (ここから転載しました。)     

  図2 3つの神社の位置

干拓時に事務所が置かれたという萬年寺に寄った後、
干拓時の堤防である八丁堤の上にある県道を走るが、さすがに堤防の痕跡は残っていなかった。

八丁堤のすぐ北側には見沼通船堀という、芝川と見沼代用水東縁、西縁をつなぐ水路がある。
各河川の水位が異なるため、途中に関を設けて舟を航行させたらしい。
通船のしくみのアニメはここここを参照のこと。
規模は全然違うがパナマ運河と同じ方式で、時期は通船堀の方が早いらしい。
現在は関が復元されており、実際の船を使った通船実験も行われている(ここここを参照)。

通船堀を見学した後、今度は見沼代用水西縁を北上する。
こちらも桜並木が続くが所々ダートの箇所がある。

ところで図1に示す3つの神社は、いずれも見沼に面しており、
ここ等によると、男体宮(父親)の氷川神社、女体宮(母親)の氷川女体神社、
その中間に、簸王子(ひおうじ)宮(子供)の中山神社が同間隔に並んでいるとのこと。
図2でもほぼ一直線上に等間隔で並んでいるのが分かる。
そこでここから先、3つの神社を撮影し、その後大宮から輪行で帰宅した。

今日は快晴で暖かく、腕をまくって走ったため、日に焼けて帰宅したあと腕がひりひりした。

毎度ながら、朝、隅田川にかかる永代橋から月島を望む。
今回は聖路加ガーデンが光っていたので撮影した。
同上。
行田市付近の利根川。
利根川の河原にも放し飼いの犬が2匹いた(少々ピンボケ)。
犬を放し飼いで戸外に放置するのは非常に迷惑だ。
利根川を横切る利根大堰と、見沼代用水の取水口(台形部分)。
ここから見沼代用水が始まる。
水平部分は利根川の堤防。
かつての取水口(元圦(もといり))跡に作られた
見沼元圦公園内にあるシンボルの風車
羽は回転していなかった。
公園内の展望台からの眺望。
右の道路で2匹の犬に追いかけられた(>_<)。
右の桜は見沼公園
同上。
秩父鉄道と交差するところで
緑のヘルシーロードは行き止まりになっており、
迂回する必要がある。
この写真は幼稚園か?
道沿いには菜の花が多い。
同上。右は見沼代用水。
同上。直方体の木?発見。
同上。
遠方に塔が見えたが何か不明。
周辺は田園地帯と集落が交互に現れる。
前方に妙な建物発見。
(光学ズーム3倍xデジタルズーム2倍で撮影)
現場まで調査に行き、建物を撮影。
写真では分かりにくいが、
菜の花が上からさらに右へ向かって延々と続いている。
所々に水門がある。
見沼代用水の周囲は中に入れないように金網で覆われている。
菖蒲(しょうぶ)町付近で桜並木が現れ始める。
同上。
同上。
見沼代用水と元荒川が交差する柴山伏越(ふせごし)の航空写真。
交差部分で川の下を潜って通過することを伏越と言うらしい。
見沼代用水は点線の部分の川底を通過している。
伏越の原理についてはここを参照。

江戸時代の柴山伏越の様子。
航空写真の点線の左側にある水門。
点線のように、元荒川の下を見沼代用水が通過している。
元荒川の上流部分。
元荒川はこのとき撮影したが、
この付近では流路は大分広くなっている。
再び桜並木が続く。
空がやや白っぽいせいか、写真の色が悪い。
道沿いの花壇。
ここで一曲(←音が出ます)
再び桜と菜の花。
東北新幹線の下をくぐる。
蓮田(はすだ)市付近で
見沼代用水は写真の綾瀬川に近づく。
ツートンカラーの垣根。
紅白2本の梅。
紅梅が右に分布しすぎているような気がしたので
調査したところ。。。
白梅の一部が紅梅になっていることが判明した。

点線の部分の下を見沼代用水が通過。






綾瀬川との交差部分にある瓦葺伏越(かわらぶきふせこし)。
元々、川の上に木製の樋(とい)を通していたが、
明治時代に煉瓦で固定した鉄製の樋になった。
このように交差部分で川の上を桶で渡すことを
掛樋(かけとい)と言うらしい。
現場に煉瓦の跡が残っていたが、
遺構だとは気づかず写真撮影しなかった(>_<)。
現在は川底を潜る伏越になっている。
この先から綾瀬川の下を潜る。
綾瀬川との交差部分の少し先から、
見沼代用水は東縁と西縁に分岐する。
以後東縁沿いを走る。
流量の少なくなった東縁。
周囲には住宅が多くなる。
七里総合公園内の環境広場。
干拓前の見沼はこんな感じだったのだろうか?
見沼田んぼが広がる。
このあたりから花見客が増える。
同上。
同上。
同上。
見沼干拓の際、事務所が置かれたという
萬年寺(まんねんじ)に行くため、
見沼田んぼ内の道を走る。
遠方水平のピンク色は、
上の写真にある見沼代用水東縁沿いの桜並木。

高台に建っている萬年寺。        
裏から見沼田んぼが見下ろせる。 
再び見沼代用水東縁を走る。
同上。

見沼干拓時に堤防が作られた 
八丁堤の上の道路。

河川輸送にたずさわる人たちが
水難防止を祈願して祀った水神社
運河の通船権を幕府から与えられた鈴木家住宅
鈴木家住宅の裏にある納屋。
干拓の際、排水に使われた芝川。
見沼通船堀は左と右の橋から水平に伸びている。
通船堀の関。
同上。
同上。
現在は水量が少ない。
通船堀付近の梅。
今度は間違いなく1本から紅白の梅が咲いている。
見沼代用水西縁を北上する。
アシの生えた見沼。
このあたりも花見客が結構多い。

見沼田んぼ沿いの高台にある     
氷川女体神社。             


本殿。
氷川女体神社付近の桜。
紅白のしだれ梅?
沼を干拓したという雰囲気が分かる。
見沼代用水の外側(見沼田んぼの反対側)は
傾斜していて高台になっている。
中山神社に行く途中で見沼田んぼを横切る。
写真は芝川。
芝川とさいたま新都心

中山神社の境内。    












中山神社も高台にある。
図1から分かるように、
中山神社の右から上にかけては入り江だったようだ。
本殿の裏にある旧社殿。
由緒があるらしい。
大宮の氷川神社の参道。
1km近くあり、ひっきりなしに人が歩いている。
氷川神社の門。
本殿。

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