【番外】 食糧ビルとその界隈


筆者は門前仲町界隈に住んで6年になる。

近所に食糧ビルというレトロな建物があり、時々テレビのロケが行われている。
ところがこのビルが75年の歴史を閉じて取り壊されることになり、
現在Emotional Siteと称して内部を開放している(入場料500円)ので、早速取材に行く事にした。
従って今回のレポートは自転車とは関係ないことをお断りする。

中央区から隅田川を越えたこのあたりは、昔ながらの下町と、
オフィスビルやマンションなどが混在一体となっている。
食糧ビルを撮影する前に、まず以前から気になっていた、
この界隈にある小規模でレトロな建物を撮影した。

続いて食糧ビルの外観を撮影した。
食糧ビルは上から見ると口の字型で、外観はどの面も似ているので、
以下の写真では便宜的に東西南北のどちら側の面なのかを注記した。

そしていよいよ内部へ入る。
手渡された簡単なパンフレットから、食糧ビルの歴史の部分を抜粋する。

明治19年から深川正米市場として日本全国の米価を左右するほどの活気を見せ、
関東大震災に消滅した木造の建物が、現在の鉄筋3階建のビルディングに生まれ変わった。
1927年の竣工時の記録を見ると、キャラバンサライ型の、南北に出入りの門を持つパティオを
回廊が囲み、1,2階が仲介人や生産地代表のオフィスとなっていた。
3階は共有の文化ゾーンで、プロセニアムアーチのあるステージをもつ講堂、
ビリアード室、応接サロン、広い座敷のしつらえがあった。
第二次大戦時の空襲では周囲一面が火の海となり隅田川には遺体が浮かんだという。
終戦後、食糧管理法や農政優遇の国の政策と相まっての再びの繁栄。
やがて米市場の自由化とグローバリゼーションの波間に本業存続の危機が訪れる。


その後、建物は会社のオフィスやアートギャラリーとして使用され、現在に至っているようだ。
取り壊された後はマンションになるらしい。

古色蒼然とした内部を見学するが、筆者は建築の知識ゼロなので、解説のしようがない(^^;)。
内部の小部屋には、芸術作品が展示されているが、これまた芸術の知識ゼロの筆者には、
あまりよく分からなかった。

なお、作品に手を触れるのは禁止で、また作品の撮影は禁止、
建物内部の撮影は可能だが、三脚、フラッシュは不可だとの事。

さらにたくさんの写真を見たい方は、このサイトを参照されたい。

近所のレトロな建物(1)
近所のレトロな建物(2)
近所のレトロな建物(3)
近所のレトロな建物(4)
近所のレトロな建物(5)
この建物の前では時々テレビロケをしている。
同上
この界隈は、あちこちに路地裏が健在。
以下、食糧ビルの概観。
東側と北側
北側
北側と西側
西側と南側
南側
南側と東側
以下食糧ビルの内部。
建物は上から見ると口の字型になっており、その中庭。
食堂?
古色蒼然とした金庫。
階段。
廊下。
部屋の内部。
屋上にある神社。
右遠方は日本IBM箱崎ビル。
屋上から中庭を望む。

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