東京〜秋葉原〜両国〜錦糸町〜浅草〜堀切菖蒲園〜北千住〜三ノ輪(走行距離60km)
参考資料:東京山手・下町散歩(昭文社) コース50,51,52,60,19,14



今週も梅雨で天気が悪いので、先週に続いて東京をポタリングすることにした。

まず「コース50 鉄道探検 交通博物館・東京駅」を東京駅から開始。
神田駅付近の中央線線路下は、映画帝都大戦を彷彿させるレトロなレンガ造りだ、
交通博物館を過ぎ秋葉原電気街に到達するが、早朝なので人気はない。

続いて神田川を下り、隅田川を越えて両国に向かい、「コース51 相撲部屋巡り 両国」を開始。
時津風、春日野、井筒、出羽海、大島、二所ノ関、花籠、八角、片男波、若松、
九重、宮城野、安治川、友綱の各相撲部屋を回る(ガイドブックと名称が異なっている部屋があった)。
相撲部屋はどれも、3〜6階位のマンションのような感じの建物だった。
江東区から墨田区にかけては、起伏がないせいか道が碁盤目状になっている。
残念ながらお相撲さんには出会わなかった。

錦糸町で小雨がぱらついてきたので喫茶店に退避。
少しして雨が止んだので、「コース52 ミュージアム巡り 両国ミニ博物館」を開始し、
墨田区が主催する小さな博物館を数館回った。
会社や商店内に設置されている小規模な博物館だ。

コース終盤で横綱町公園に行き、関東大震災と空襲による戦没者の遺骨が眠る
東京都慰霊堂復興記念館、さらに旧安田庭園両国公会堂(老朽化のため現在は未使用)、
大相撲の国技館、江戸東京博物館などを通過し、再び両国に戻った。

続いて東日本橋から「コース60 名橋鑑賞 隅田川橋巡り@」を開始。
隅田川のテラス沿いのコースだが、ガイドブックはウォーキングを対象としており、
道路とテラスの間に階段があるので自転車を担ぐ必要がある。
テラス沿いは路上生活者のダンボール小屋が林立している。

本所吾妻橋に到達し、浅草から次の「コース19 七福神巡り 隅田川七福神」を開始。
七福神のある各寺社には、コースガイドと、七福神のいわれを書いた案内板が設置してあった。
七福神の一神がある向島百花園ではアジサイが咲いており、池にはカルガモがいた。

コース19は堀切で終了だが、地図を見ると堀切菖蒲園の菖蒲(しょうぶ)がシーズンらしいので、
行ってみることにした。
しかし、堀切と言えば二郎 との連想が働いたので、
荒川を渡ってからまず堀切のラーメン二郎に行き、腹ごしらえをした。
堀切菖蒲園ではちょうど菖蒲祭を行なっており、付近の商店街に屋台も出て結構混んでいた。

続いて「コース14 街道を歩く 日光街道・千住大橋」を開始するため北千住に向かう。
江戸時代、北千住は東海道の品川宿に相当する、日光街道の最初の宿場だった。
横山家、名倉医院を通過して街道を荒川近くまで北上し、改めて街道を南下した。
歩行者天国だったが、自転車でも何とか通過できる混み方だった。

北千住に来たついでに、若くして亡くなった尾崎豊が倒れていたという、通称尾崎ハウスに寄った。

芭蕉の奥の細道の出発点だという千住大橋を通り、小塚原刑場跡地を経由し、三ノ輪から輪行した。
なお、2つ前のレポートのモヤモヤ写真(>_<)の一件があるため、刑場跡地での写真撮影は自粛した。

東京駅からスタート
レトロな中央線のガード下
交通博物館のSL
早朝で人気のない秋葉原
神田川河口付近に係留されている屋形船。
神田川は前方を左から右に流れる隅田川に注ぐ。
春日野部屋
忠臣蔵で討ち入りのあった吉良上野介屋敷跡の一部
レトロな床屋さん
二所ノ関部屋
野見宿禰(のみのすくね)神社内にある歴代横綱の碑
八角部屋はドアのマークが八角形
高砂部屋
全面さびだらけの倉庫
錦糸町駅前のオブジェ
小さな博物館の一つ、桐の博物館。
横綱町公園の屋外は関東大震災で破壊された品々が
展示してある。。
この写真の物体は、解説によると
「自動車のボディが焼失し、シャーシーだけが残ったもの。
この自動車は車両番号第一号という古い歴史を持ち、
銀座の明治屋商店で震災直前まで使用されていたという。」
幾多の遺骨が眠る横綱町公園の東京都慰霊堂
横綱町公園の復興記念館。
旧安田庭園
旧安田庭園と両国公会堂(老朽化で現在未使用)
国技館ではわんぱく相撲の大会が行なわれていた。
サイを連想させる江戸東京博物館
両国橋の橋灯
隅田川テラスの祭壇?
ご存知アサヒビールの社屋とオブジェ
七福神のある三囲神社
プロ野球元巨人の王選手(現ダイエー監督)が
中学生のときここで野球をしていて、
通りかかったプロ野球毎日オリオンズの
荒川選手(その後巨人コーチ)に声を掛けられ、
左打者転向を勧められた野球場。
門の左の絵は王選手。
隅田川にかかるX型の桜橋
向島百花園のアジサイ
池にはカルガモが。
ビルの壁面に描かれた?な絵
隅田川にかかる白鬚橋(しらひげばし)。
カネボウ(旧鐘ヶ淵紡績)発祥の地。
現在は鐘紡物流という会社の敷地。
隅田川と荒川をつなぐ500m程度の旧綾瀬川。
手前が荒川、向こうが隅田川。
堀切菖蒲園のショウブ。
日光街道の千住宿に残る横山家
有名な接骨の名倉医院。
北千住の入り口付近では、
千住宿で当時その場所にあった店名が表示してある。
右の空間に尾崎豊が倒れていたという。
あれから10年の歳月が流れた・・・。
ここで一曲(←音がでます。)
由緒あるすさのお神社

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